●品川で友人夫婦と落ち合って、幹線線で福山まで行って、山陽本線で尾道へ。新幹線のなかで『インターステラ―』の話をした(友人は、物理が専門ではないが理系の人)。以下、ネタバレあり。
●10日の日記に書いた疑問(博士の研究している重力理論と、ブラックホール内の量子情報と、人類が救われる事との関係)について。以下は、新幹線での雑談でぼくが理解できた範囲を、記憶を頼りに再構成したものなので、精確さについては保障できないものだけど、大雑把にこんな話だった。
博士の研究室の黒板に書かれている式について主人公の娘が「再帰的になっている」とか言っていた場面が確かあった。つまり、あの式はそれ自体で閉じていて、そこに変数が代入されなければ結果が出ない。そして、その変数には無限の可能性があり、どれか一つには決定できない(だから、ひも理論では可能な宇宙の数が無限にあることになる)。で、その変数の決定のためには、この宇宙についての「観測」が必要であるが、現在の技術ではその観測は不可能である、ということらしい。
ブラックホール内にある量子情報とは、その変数の決定に必要なデータということで、そのデータによって重力理論が完成し、人類は重力を制御できるようになって、テラ・フォーミングが可能になって、人類は救われた、と。そう言われれば理屈は確かに通るけど、それでは物語のアイデアとしてはひねりがなさすぎるようにも思われる。
もう一つ話していたのは、あんなに簡単にブラックホールに侵入できるはおかしいのではないかということだった。どうやってブラックホールに侵入できるのかというところが、SF的なアイデアの肝であるはずだし、知恵の使いどころであるはずなのに、何のアイデアもなくすんなりと侵入できてしまう。この部分も、ブラックホールへの侵入という出来事がそもそも、重力や時間の制御に既に成功している「彼ら」の導きによるものだから可能だったのだと考えれば、確かに筋は通るけど、お話として、SFとして考えると、それはたんにご都合主義ではないかという風にも感じられてしまう。重力も時間も制御可能な「彼ら」を根拠にするのは、全知全能の神を根拠にするのに等しくて、何でもありになってしまうのではないか。
とはいえ、この物語は一種の入れ子構造になっていて、父が娘に、遠隔的で非接触的な方法によって何かを伝えているのと同様に、「彼ら」が「人類」に、遠隔的で非接触的な方法によって何かを伝えている。二つの、異なる階層の出来事が重ねられている。そして、主人公が、娘に対する上位階層であり、同時に「彼ら」に対する下位階層(人類)であるということによって、主人公たる資格を得ている。主人公は、娘に対しては「彼ら」の位置を占め、「彼ら」に対しては娘の位置を占める。この多重性によって、娘もまた、地球という階層上では主人公と同様の二重性をもち、「彼ら」もまた上位階層においては全知全能の神というわけではないことが、(直接的に描かれることなく)匂わされてはいる。つまり、「根拠(あるいは説得力)」は「彼ら」にあるではなく、このような構造そのものから来る、と言える。ここから分かるのは、「根拠」と「説得力」との微妙な違いだ。
さらに、とはいえ、『インターステラ―』の面白いところは、「トップをねらえ!」的なところと「呪怨」的なところで、それ以外のところは、考証がしっかりしているとしても、お話としてはひねりがなさすぎるという感じもしてしまう。