●地元の市立図書館の蔵書が貧弱なので県立図書館に出かけてみた。桜木町駅から徒歩で十分程度と図書館のウェブサイトの地図のところに書かれていた。改札を出て、桜木町の「こっち側」にはあまりなじみがないなあと思いながら進んでゆき、この一つ目の角で曲がればよいはずだと見てみれば、図書館までの道のりはかなり勾配のきつい坂だった。地図を見た印象で平坦な道と思い込んでいたが、横浜にはとにかく坂があるのだった、油断していた。しかしこのきつい坂はいかにも横浜っぽい風景で、しかも真夏の太陽にいい感じでギラギラ照らされていてテンションが上がる。この暑いのに急な坂とか勘弁してほしいという気持ちより、光だし、坂だし、緑だし、という興奮の方が勝る。
下の写真は、図書館の駐車場からの風景。
●深夜アニメ、『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』。今までは面白かった「下セカ」も6話はイマイチだと思った。全体の流れから外れた箸休め的なエピソードだったというせいもあるのかもしれないけど、たんに「普通の下ネタ」になってしまっているように思った。下ネタが嫌われるのは、基本的に類型的で創造性がないにもかかわらず、それが性的なニュアンスを含んでいるというだけでなんとなく人をくすぐるという安易さ、というのもあるのではないか。
オナホを自作するという話も、アンナがそれと知らずにローターを装着してしまうという話も、それ自体では中学生のエロ話程度のものでしかない。「下セカ」の面白さは、検閲による強い抑圧のかかった状況下で、「知っている者」「知らない者」「知らないにもかかわらず誰よりも正確に実践する者」「探求する者」「徐々に目覚めつつある者」など、様々な立場や視野の異なる者たちが入り乱れた抗争状態(管理する側/抵抗する側/管理される側という区分けは、どんどん崩れてきている)が実現されているというところにあるのだなあと、改めて思った。
●『がっこうぐらし』は、世界像の異様さが面白くて観つづけているのだけど、展開の仕方とかは実はあまり面白くなくて、観ているときはけっこう退屈している。律義に伏線をはって回収しているのは分かるけど、個々の場面がイマイチなので、成程とは思っても面白いとまでは思えない。しかし、それでも観てしまうだけの世界像のインパクトがある、ということでもある。世界の表情だけで見せてしまう、というか。
●パーツを用いたコンポジション(試し)。