●『ガッチャマンクラウズ インサイト』、第6話。
大雑把にみれば、ゲルサドラ+つばさは「みんなで仲良く」派で、総裁X+ルイが「みんなで進化しよう」派で、丈や理詰夢が「エリート主義」派といえる。前作「クラウズ」のとりあえずの結論が「みんなで進化しよう」派にあったとすれば(テクノロジーの進歩によって「みんなで進化しよう」と言えるようになった、と)、「インサイト」では、「みんなで進化しよう」派が「エリート主義」派によって妨害されるところからはじまった。「エリート主義」派からみれば、統制のない「みんなで進化しよう」派は暴走を止められないので危険だ、と。まず、理詰夢によってクラウズの危険性が過剰に宣伝され、そしてその空気にまんまと染まった「みんなで仲良く」派を(敵の敵は味方、として)丈が持ち上げ、プロデューサーとして彼らを祀り上げる。
とはいえ、首相となったゲルサドラは、事実上、総裁Xと同等の力をもつことになる。ゲルサドラはいわば「みんな」の意見を集約することで強大な力をもつ「一人クラウズ」であり、「エリート主義」派にとって、クラウズ=猿だとすればゲルサドラは猿山のボスザルである。クラウズとして分散されていた力が一つに集約されてしまったことになる。ゲルサドラにおいては、「みんな」が既に一人に直接統合されているから、ここにはエリートたち(政治家や官僚)による制御が入り込む余地が全くない。「エリート主義」派にとっては、元も子もないことになった。
「クラウズ」とは、多と一の間の話であり、様々な形で多と一を媒介するもののあり様を探る話でもあった。ヒーロー(エリート)という中枢があり、立川市(行政)という中枢があり、警察や自衛隊という中枢のもつ制御機構があり、総裁X(ネットワークを制御する人工知能)という非中枢的媒介がある。それぞれの媒介には異なる機能や役割があるが、「純粋な悪意(破壊への欲望)の拡散」という事態に対しては、総裁X(+クラウズ)というネットワーク的な媒介が有効に機能した、というのがざっくりと「クラウズ」の物語だ。
総裁Xによる制御とはいわば資本主義のようなもので、最低限の制御だけを行い、あとは各個人(多)の工夫に任せれば、全体として(個々のネットワーク的な相互作用として)そんなにひどいことにはならない、という感じのものだ(ゲーミフィケーション的な誘導はあるとしても)。資本主義は技術進歩がなければ成り立たないので、ルイは「アップデート」を口にする。だからルイは、リベラル的な指向性を否定しない弱い(共感的)リバタリアンみたいな感じだろうか。それに対して「エリート主義」派は、そんなアナーキーな状態で上手くゆくはずがないとして、上意下達的な制御をしようとする共産主義的、官僚主義的な指向性をもつと言える(強いパターナリズム)。
とはいえ、どちらにしてもロールズ的なリベラリズムを否定はしないはずだから(ルイは、ノージックのような強いリバタリアンではないだろう)、思想的対立点は、社会をどのように制御するかという「手法」にあると言える。
つまり、個々の自発性を最大限に生かしつつ、ネットワークによって緩く制御すればなんとかなるという方向性と、トップダウン的な強い制御や介入が必要だとする方向性の対立だ。要するに、多を束ねる媒介としての一(中枢)が必要であるのか、あるいは、多を結ぶネットワークそのものが媒介となり、ネットワークそのものによる制御が可能なのか、というのが争点だろう。しかし、この双方の争いの隙をついて、「媒介」をすっとばして、直接的に「みんな仲良し」を実現してしまう者が主導権を握ることになる。ゲルサドラは、媒介なし、ネットワークすらなしに多を一のなかに溶かし込んでしまえる存在だ。ヒーロー(エリート)、行政(ツリー型制御)、ネットワークという、「クラウズ」で主題化された様々な多と一をつなぐ媒介たちのバリエーションは、一気にみんな用済みにされてしまった。ゲルサドラは首相になることによって、共感的動員生成マシンから、ビッグデータ解析マシンのような存在に進化した。
(これはいわば、プレ『ハーモニー』(伊藤計劃)状態とも言えるが、でもまあ、「インサイト」がそちらの方向に進むとは思えない。いやでも、地球人全体が、ゲルサドラを媒介として、一個の超生命体になる――そうすれば戦争は完全になくなる――というのもアリなのかも。その時、はじめは排除され、一人で宇宙に旅立つ、とか。あるいは、清音と二人で、新たな星をみつけてアダムとイブになる、とか。)
で、今後どうなるのか。まず普通に考えられるのは「エリート主義」派からの何かしらの抵抗がみられるのではないか、ということだ。しかし、「エリート主義」派によってでは、ゲルサドラを倒すことは出来ないのではないか。というか、ゲルサドラは、常に既に「みんな」なのだから、彼を「敵」として見る限りその者の敗北は決定されている。ゲルサドラは敵ではない。敵を倒せば「正しい状態(平和)」が訪れると言う物語そのものが、批判されなくてはいけないと思う。
「クラウズ」の時は、もともと少数精鋭主義的だったルイが、開き直ってクラウズを無条件で配布する決断をすることによって局面が変わったのだった。ならば「インサイト」でも、つばさ、あるいは理詰夢に、何かしらの「気づき」が到来することで局面が変わるのかもしれない。
●雲。