●「攻殻SAC」の「Solid State Society」を観た。今まで、「SSS」は「笑い男」や「個別の11人」に比べるとややテンションが落ちているかなあと思っていたのだけど、今回はそうは感じなかった。というか、一番面白かったかもしれない。これは、独居老人(の行き宛てのない財産)と貧困や虐待を受けている子供とを介護ネットを介してマッチングするという話だけど(親子の記憶の消去と誘拐という強引な形でそれをするのが今回の「敵=革命家」である傀儡回しだ)、今まで気付かなかったけど、『東のエデン』はここから発展した話だと考えることができそうだ。
ただ『東のエデン』の決定的な失敗は、社会を良くするためのゲームであるはずのセレソンゲームを、ただ一人が勝ちぬける(勝者以外は全員死ぬ)ゲームとして設定したところにあるのではないかと思う。社会をよくするゲームのルールが社会の悪いところを反映したものでは駄目だろうし、このルールには(ただ、物語として面白くするためという以外の)必然性はない。ここのところを大胆に(粗っぽく、でもあるけど)解決してしまったのが『ガッチャマンクラウズ』で、クラウズという特別な力を全員に無条件で配ってしまうという解決策を生みだした。『東のエデン』でたとえれば、選ばれた12人だけではなく、国民全部にノブレス携帯(100億円)を配布、みたいな感じだ。100億円を全員に配るには原資が足りないけど、クラウズはデジタル的な力だからいくらコピーしても元手がかからない。こう考えるとやはり『ガッチャマンクラウズ』はかなり革命的だ。
●うーん、これは『東のエデン』ももう一回観とかないとダメか。時間がないけど。
●今まで気付かずにスルーしてしまっていたけど、タチコマが生き返っているというのはすごいことではないか。タチコマのデータはサーバごと核ミサイルで破壊されたはずなので、草薙はネット上に残っていたタチコマの痕跡を拾い集めてタチコマを再生させたことになる。これが可能なら、電脳化してネットに常時接続しているのなら人間を生き返らせることも可能なのではないか、ということを何気なく示していることになるのではないか。そもそも、傀儡回しとはネット上に拡散した草薙のゴーストの欠片が、草薙の意思から離れて別の身体(死んだ人が使っていたリモート義体)の元に再集結したものと解釈できるのだから、「SSS」はそういう話でもあるのか。