●お知らせ。「ユリイカ」2017年9月臨時増刊号(総特集=幾原邦彦)に、「脱去する媒介者――『ユリ熊嵐』論」というテキストを書いています。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3070
そして、けいそうビブリオフィルの連載でも、これから幾原作品『輪るピングドラム』について書く予定です。「「ここ-今」と「そこ-今」をともに織り上げるフィクション/『君の名は。』と『輪るピングドラム』」(1)
http://keisobiblio.com/2017/08/02/furuya22/
ついでに宣伝すれば、ぼくの一冊目の本『世界へと滲み出す脳』には「女の子、男の子の、世界の終わりから始まる道―『少女革命ウテナ』と『フリクリ』」という章があります。
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%B8%E3%81%A8%E6%BB%B2%E3%81%BF%E5%87%BA%E3%81%99%E8%84%B3%E2%80%95%E6%84%9F%E8%A6%9A%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86%E3%80%81%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%81%AE%E3%81%BF%E3%82%8B%E5%A4%A2-%E5%8F%A4%E8%B0%B7-%E5%88%A9%E8%A3%95/dp/4791764226/
●『PINK RIBBON』という映画をDMM.comの配信で観ていた。ピンク映画の関係者にいろいろ話を聞くというドキュメンタリー。監督は、『曖昧な未来、黒沢清』をつくった藤井謙二郎。2004年につくられた映画なので、今とはかなり状況が違うだろうと思うのだけど、面白く観た。
(黒川幸則さんは、ピンクももうフィルムではつくられていないと言っていたけど、この映画に映されている現場では、思いっきり大きな音を立てて廻るフィルムカメラで撮影していたし、各地の映画館に35ミリのプリントを発送するおっちゃんもインタビューに答えていた。)
若松孝二渡辺護の話によると、ピンクの初期は儲かった、と。一本、三百万で作って、一千万くらいになったから、みんな作りたがった。大卒の初任給が二万五千円くらいの時代に、一本監督すると二十万もらえた。しかも、月一本くらいのペースで撮っていた、と。新東宝の古参の社員は、若松の初期の作品はとにかくお客が入ったと言う。
だが、若松孝二は、『壁の中の秘事』でベルリン映画祭に行って、いろいろな人に話を聞いた結果、制作会社からお金をひっぱってきて映画をつくるのではなく、映画は自分の金でつくらないとダメだと悟ったと言う。自分で借金して映画をつくることで、その映画の権利を自分でもつことが出来る。それで若松プロダクションをつくった、と。若松は言う。『胎児が密猟する時』(1966年の映画)など、事務所の壁を白く塗って、低予算で短期間でつくった映画なのに、今(2004年)でも金を生んでいるのだ、と。そして、高橋伴明足立正生は、若松はとにかく予算の管理が上手かったと言う。若松くらい予算の管理ができれば、ピンクをつくって儲けることもできるだろう、と。若松は、映画作家というより、(ロジャー・コーマンのような)優れたプロデューサーだったのではないかと思った。
(若松孝二は2012年、渡辺護は2013年に亡くなっている。)
一方、ピンク映画の現在(2004年当時)を表す存在として出てくるのが、池島ゆたか、吉行由美女池充といった監督たちだ。吉行由美は、『発狂する唇』や『血を吸う宇宙』といった、高橋洋佐々木浩久作品の女優としては知っていたのだけど、ピンク映画に出演し、自ら監督もしている人とは知らなかった。ピンクは通常、監督がプロデューサー(予算管理?)も兼ねるので、人件費を減らすため自分が出るのだと、吉行は言う。池島ゆたかは、劇団天井桟敷の俳優から、ピンク映画の男優になり、そしてAVの監督へと転身、しかしAV業界が不況で思うように撮れなくなって、ピンク映画の監督になった、と。
この、池島ゆたか監督は、本来ならば女池充監督がつくるはずだった作品の準備がずるずるとのびてしまっているので、急遽、その穴を埋められる安定した実力をもった監督として登場する(ピンクはやはり、プログラムピクチャーなのだなあと思う)。一方、女池監督は、インタビューへの答えも自信なさげで、気が付いたら間に合わなかったんですよねー、みたいな、この人、大丈夫か、という感じなのだけど、この映画の終盤は、女池監督作品の撮影場面がメインとなる。女池監督は、現場でもぐずぐずと悩みながら、いわゆる「絡み」の場面を、執拗に、丁寧に、粘り強く、演出してゆく。ピンク映画の「歴史」や「現状」について語っていたこの映画が、女池監督の場面では、映画の「制作(撮影)」という側面が強く出てくる。通常ではピンクでは同時録音はしないということだけど、女池監督は同時に音も録っていて、リハーサル中の俳優の台詞とかも録っていた。
ピンクは通常、三日か四日で撮影するということなのだけど、こんなじっくりやってて大丈夫なのかと思うくらい、何度もリハーサルを繰り返しながら芝居をつくっていた。三百万でつくって一千万儲けるというような、初期のピンクの豪快で粗っぽい感じとはおそらく全然違う感じで「映画」をつくっているのだと思った(ただし、制作費が一本三百万なのは、六十年代のピンク初期から変わっていない、と)。
この映画が撮られた時点で、ピンク映画は年間90本くらいつくられていたという。それから14年くらい経って、今はどうなっているのだろう。
(そういえばこの前、鎮西さんが、ピンクでも国映の映画に限っては、一週間から二週間かけて撮影できると言っていた。鎮西さんの『スリップ』も、堀禎一の四本のピンク作品も、製作は国映だ。)