●ネットフリックスで『夏の妹』(大島渚)を観た。はじめて観た。1972年、沖縄が返還された年に、沖縄でオールロケされた作品。しかし意外にも、(大島渚が撮った)そういう映画がこんなに緩くていいのかと思えるような、緩めの映画で、ほぼ(政治的な含意ももつとはいえ)観光映画と言っていいのではないかと思う。とにかく、いの一番に沖縄へ行って撮るということが何よりまず重要、という感じで撮られた映画だろうと思う。沖縄でオールロケしたといっても、けっきょく、メインキャストはすべて東京から連れて行ってるじゃん、というような、突っ込みどころもあるだろう。
この前年に撮られた『儀式』が、創造社時代の大島メソッドの最も凝集された、高い緊張を獲得した達成であるとすれば、『夏の妹』は、創造社メソッドの最も無防備に弛緩したあらわれだと言えるのではないか(『夏の妹』を最後に創造社は解散している)。でも、ぼくにはこの無防備に弛緩した感じがむしろ好ましく感じられた。『儀式』は確かに、映画としては高い達成かもしれないが、あまりに硬直していると言うこともできる。
この「弛緩」をもたらした主な原因は、栗田ひろみ、りりィ、石橋正次といった、大島渚の映画とは異質な感じの若いキャストによると思われる。大島渚はそれ以前にも、『日本春歌考』の荒木一郎、『帰って来たヨッパライ』のザ・フォーク・クルセダーズ、『新宿泥棒日記』の横尾忠則唐十郎、あるいは『東京戦争戦後秘話』では脚本家としての原将人など、つねにその時に旬である「若い力」を取り込もうとしていて、その都度、それなりの異質な力による「弛緩」を自らの映画に招き入れていると言えるが、『夏の妹』ではその弛緩が最も大きく、そしていい感じの緩さとして作用しているように思われた。
(大島渚はこれ以降は、創造社メソッド的ないわゆる「前衛的」映画をつらなくなるのだが、そのような作風の転換に、『夏の妹』が大きく作用しているのではないかと感じた。)
●『夏の妹』には、「妹」の取り違えによる二重化(妹という一つの位置を二人の女が占める、と同時に、一人の兄によって妹が二重化される)、と、父の二重化(一人の息子に二人の父、であると同時に、一人の女=母によって父が二重化される)がある。「兄(男)」、「母(女)」という媒介によって、二人の妹(女)、二人の父(男)という二項が、対立的で排他的でありつつも、鏡像的な関係になる。
(この、一つの位置を取り合う二人の妹、二人の父という、対立的で排他的な関係が、「本土の男」と「沖縄の男」との対立=殺される/殺す関係という二項関係と絡んでくる。)
(二人の父の関係は、沖縄の母に対して---沖縄の母を無理やり犯した---「本土の父」と---本土の父の血をかく乱させようとして犯した---「沖縄の父」、という対立になっている。二人の父とは、ここでは植民地化とそれへの抵抗をあらわしているだろう。)
(ここでは、二人の父が女性を「犯す」ことが、支配と支配への抵抗を現しているので---これはどちらにしても女性に対する一方的な支配であるから---ここでは、「支配」も「支配への抵抗」も、女性への一方的な支配によって成り立っていることになる。)
しかし、関係はそう単純ではない。兄と、妹1妹2がいて、母(息子)と、父1と父2がいるだけでなく、ここでは兄=息子である。そして、兄と妹とは近親愛的な関係にある。さらに、妹1は父1(本土の父)との再婚が決まっている。つまり、父1(本土の父)は、息子の(取り違えられた)妹と結婚しようとしており、そして、息子にその結婚相手(取り違えられた妹)を寝取られる。この、兄と取り違えられた妹との近親愛的な性的関係---「息子」による「父の妻」の寝取りでもある---は合意に基づき一方的なものではない。ここに、マッチョな父たちとの世代の違いが表現されているとも言える。
(ここで「息子」は、沖縄の母の子ではあるが、本土の父の子でもあり沖縄の父の子でもあるという意味で、両義的な存在である。)
●言葉で書くとわけが分からなくなるので、関係を図で示すと下のようになる。



そしてこの俯瞰的な図は、フレーミングによる限定の仕方により、次の四つの図に分解され得る。
(1)一人の息子に二人の父。



(2)母と娘が、同じ男に対して共に「妹」である。



(3)「父」は常に、対称的な位置にある他者に女を奪われる。しかしここで、同窓生は女を無理やり犯すが、息子は合意のもとで性交する。



(4)ねじれた、じゃんけんのような三者関係。小松にとって、妻の兄が息子である。石橋にとって、妹の夫が父である。りりィにとって、夫の息子が兄である。



このように、一人の人物に、場面の限定の仕方によって複数の(複雑な)別な役割が与えられ、それにより全体の関係=空間に歪みや矛盾がつくられることで、多元的な象徴的関係(空間)をつくるというのが、大島渚の創造社時代の主なメソッドだと言えると思う(その関係がマッチョでホモソーシャル気味である、という批判はあり得るだろう)。