●紙を手で千切って、切り紙絵をつくっていて、何点かマティス並みに上手くいったので、これは何かを掴めたにちがいないと確信したのだが、すべて夢だった。目が覚めた時には、紙を手で千切る感触、千切った紙を重ねていくことで空間の構造が出来ていく感触が(その空間の感覚が)まだ残っていたのに、もう忘れてしまった。
●空間は、複数のレイヤー(というより、複数のスレッドといった方がいいのか)の並立における、共存と排他性との間で生じる。顕在的でも、潜在的でもないものの効果。
スレッドの並立そのものが、地でもあり図でもある。複数スレッドの並立(衝突)がコノテーションとしての地を形成し、並立の効果としてのコノテーションから図が浮かびあがる。
●小鷹研理さんのツイッターより引用、メモ。以下で小鷹さんが「既視感」と言っているものを、複数スレッドの並立によって形成されるコノテーションの「醸し出すもの」と考えることはできるのか。
複数スレッドの並立(衝突)という出来事は、一度も思い出されることのないままに---意識化されることのないままに---忘れられたものであるが、その忘れ去られたままであるものから、既視感が立ち上ってくる。「ひらめき(図)」は、その既視感を背景として成立する、と。
https://twitter.com/kenrikodaka/status/1015350641571647488
《<運命の出会い>の本質は、「無意識の風景の中に埋もれていたもの」との遭遇にある。だから、それは端的に、既に知っているもの・見たことのあるもの(けれど当人がそのことを忘れているもの)との再会でもある。史実に帰属できない無意識の震えは、<運命>に帰属されるほかない。(メディア解剖学)》
《<ひらめき>もまた、既に誰かから聞いたことのあること、あるいは自分が過去に一度は考えたことのある何かしらを、あたかも、たった今、ゼロから、オリジナルのアイデアとして立ち上げたかのように(無自覚に、自分自身に対して)詐称する能力と関係しているように思う。》
《この<ひらめき>問題を考えるうえで、隣の誰かが呟いたことと一語一句変わらないことを、「あたかもたった今、自分が思いついたかのよう」に解答するシーンが頻発する「ご長寿早押しクイズ」の映像は、やはり素晴らしい教材なのだと思う。》
「ご長寿早押しクイズ」。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=zg2iX9mZPjk
《一人の人間を、人生の重要な決断や行動に駆り立てていくのが、その種の偶有的な運命性(への信仰)であることを鑑みれば、「忘れる能力」がいかに大事であるかという件に思い至る。一旦、無意識に卸されていたものが、再び意識に浮上する際に放たれる特別な輝きこそが、再会の高揚感の本質であること。》
《だから(よくテレビで演出されたりする)ドッキリ的な再会は、まさに出会った瞬間の当事者の表情の機微こそが面白いのであって(誰だか正確には覚えていないが、まさに出会うべき人と出会っているのだという感覚)、相手が誰かわかってしまってからは、意外とつまらなくなる。》
《作品体験において、(その由来がわからない程度の)「既視感」が大事だと僕が思うのも、以上の文脈が関係してます。》