●引用、メモ。『精読 アレント全体主義の起源』』(牧野雅彦)の、第四章「全体主義の成立」より。全体主義がヤバいのは、それと肯定的な別のものとを、根本的に区別することができない(そのための基準がない)という点にあると思われる。(ア)は、アレントからの引用部分の孫引き。
●第一節「階級社会の解体」より。
●階級社会の解体による大衆の形成が全体主義の前提である。
《(ア)大衆という言葉が当てはまるのは、たんに数の多さや無関心から、あるいはこの両方が結びついたために、政党や自治体、職業組織や労働組合などいかなる組織にも共通の利益によって統合することのできない人々のみである。》
《大衆は(…)モッブとは異なる。あらゆる階級から脱落した残滓の集合であったモッブに対して、大衆は、国民国家の基盤としての階級社会そのものの解体、とりわけ大陸に顕著であった階級-政党のシステムの崩壊によって登場する。階級を基盤とする国民国家においては、階級、すなわち特定の社会的ステータスへの所属が政治参加の条件あるいは敷居となっていた。(…)人民の大多数はそうした政治組織の枠外におかれ、政治参加と政治的責任から排除された。》
《(…)全体主義運動のリーダーの多くはモッブから出てくる。大衆それ自身は---原子化してバラバラにされた存在というアレントの定義からして---みずからを組織する能力をもたないからである。》
《(ア)大衆の一人一人に降りかかる運命は単調で空疎なほど画一化されているという事実は、彼らが自分自身の運命を個人的な失敗と考えたり、世界を特別に不正だと考えることを妨げるものではない。しかしながら、そうした自己中心的な酷薄さは、個人的な孤立(isolation)のなかで繰り返されるのだが、個人個人の違いを根絶するその傾向にもかかわらず共通の絆とはならない。というのもそれは経済的であれ社会的であれ政治的であれ、なんら共通の利益に基づいていないからである。》
ソビエトにおける大衆の原子化は繰り返されるパージによって、あらゆる社会的紐帯、家族的絆を破壊することによってもたらされる。そこでは自律的な存在はすべて否定される。芸術であれ何であれ、固有の価値と論理をもつ存在は、自律的な論理をもつがゆえにそれ自体として全体主義にとっては危険な存在となるのである。》
●内容の空白化による、支配者の裁量(予測不能性)による支配。
《もちろん既存の社会的紐帯の完全な破壊は通常の意味での統治の基盤そのものを破壊することになるだろう。全体主義が本質的に自己破壊の運動である所以だが、そうした自己破壊的特徴は、特定の内容をもつ党綱領も除去してしまうところに顕著に現れている。全体的な忠誠が可能になるためには、具体的な内容を空白化することが必要となる。それによって生じるいかなる変化にも対応した服従を要求することができるからである。「組織という点におけるヒトラーの最大の業績は、党の当初の綱領から運動を解放したところにあった。綱領を変更したり公式に廃止したりするのではなく、単純にその内容について議論するのを拒否することによってである」(…)スターリンはこうした制約を分派の廃止、つまりは路線論争の禁止の後に行った絶えざる路線変更と再解釈によって事実上廃棄してしまった。(…)もはや党とその教義からいかなる方向性も路線も予想できない。「スターリンが前の晩に告げたことを毎朝反復することによって人ははじめて党の路線について行くことができるのである」》
ファシズムの目標が自分たちのエリートを国家権力につけることであったのに対して、全体主義が目標とするところは、全体的な支配、すなわち支配者と被支配人民の間の距離を除去することにあった。》
テロリズムへの好みによる参入(モッブやエリート)
《(ア)全体主義運動における行動主義の強調、いかなる形態の政治活動よりもテロリズムを好むこと、これらが知識人エリートもモッブも等しく惹きつけた。(…)彼らが惹きつけられたのは、テロリズムが欲求不満、ルサンチマン、盲目的な憎悪を表現する一種の哲学となり、自己表現のために爆弾を用いるような政治的表現主義になったからである。世間を震撼させる行為が耳目を引きつけることに歓びを感じ、自分の存在を社会のノーマルな階層に認知させることに成功するなら生命を犠牲にすることも彼らはいとわないのである。》
●第二節、「運動としての全体主義」より。モッブやエリートがテロルなどに惹かれて自ら運動に参入していくのに対し、無関心な「大衆」はプロパガンダによって外から動員する必要がある。
●大衆が信じるのは、虚構の「一貫性」である。
《(ア)大衆は目に見えるものは何も信じない。(…)彼らは自分の目と耳を信頼せず、ただ想像力のみを信じる。彼らの想像力は普遍的で一貫しているものなら何でもその虜になりうる。大衆を納得させるのは事実ではないし、でっち上げられた事実でさえない。彼らがその一部となるであろうシステムの一貫性だけを信じるのである。》
《階級社会の崩壊によって生活の基盤を根こそぎ奪われて「故郷喪失(homelessness)」の状態におかれ、バラバラに孤立した大衆の願望、もはや彼らが適応できなくなった世界から逃避する一方で、何らかの一貫した拠り所を求める願望こそが、全体主義プロパガンダを可能にする前提である。「権力を掌握して彼らの教義に合致した世界を作り出す前に、全体主義的運動は現実そのものよりも人間の心の必要に適した一貫した嘘の世界を呼び出す」のである》。
●一貫した虚構にリアリティを付与する「噂」。
《(ア)統合されずにバラバラにされた大衆(…)がそれでもなお理解することのできる現実世界の徴は、いわば現実世界の裂け目、つまり誇張され湾曲された形ではあれ急所を突いているゆえに誰もあえて公然と議論しようとはしない問題、誰もあえて反論しないような噂である。》
全体主義プロパガンダの嘘を完結させるリアリティの欠片、あるいは現実世界の裂け目を示す噂として最大の効果を発揮したものこそ、「ユダヤ人の策謀」というフィクションであった。》
《そのスローガンの内容自体はこれまでの反ユダヤ主義の焼き直しにすぎない。彼らが付け加えたただ一つの新しい要素は、ナチ党員に非ユダヤ人の血統証明を要求したことであった。》
《(ア)ナチスユダヤ人問題をプロパガンダの中心に据えたが、その意味するところは、反ユダヤ主義がもはや多数者とは異質な人々についての意見の問題でも民族政策の問題でもなく、党員一人一人の個人的実存に関わる切実な問題になったということである。》
《ナチ・プロパガンダはいわば「反ユダヤ主義を自己規定の原理に転換」したのである。》
●嘘(プロパガンダ)の説得力は、「生ける組織」としてのその「運動そのもの」によって保証される。
全体主義の権力の核心は、「生ける組織」としての運動そのものの展開の内にある。「プロパガンダのスローガンがひとたび『生ける組織』に具現されてしまえば、組織の全構造を破壊することなしにそれを取り除くことはもはや不可能になる」》
《(ア)全体主義プロパガンダの内在的な弱点が露呈するのは敗北の瞬間である。運動の力がなくなれば、構成員は直ちにそのドグマを信じるのを止めてしまう。昨日まではみずからの生命も捧げるつもりでいたそのドグマをである。運動、すなわち構成員を外界から保護していた虚構の世界が破壊された瞬間に、大衆はバラバラの個人というもとの立場に戻り、変化した世界を喜んで受け入れるか、余計な存在であるというもとの絶望的な状態に沈み込んでいくのである。》
《(…)ヒトラースターリンなどの指導者個人の意義がまったく否定されるわけではない。彼ら個人の死とともに全体主義に特有な運動とテロル、それに向けた大衆の熱狂や動員も停止する。問題はそうした運動のダイナミクスの中での指導者個人の役割が全体主義と他の政治体制とでは異なるということである。》
全体主義の組織構造
全体主義の組織構造の特徴は、その独自の階層性にある。全体主義をそれまでの運動組織から区別する新機軸は、同伴者の前面(フロント)組織の創出にあった。》
《非全体主義的な外部の世界と、内部の仮構世界との間の媒介、内外に対する「ファザード」、一種の緩衝装置としてフロント組織は機能する。運動の外部と内部の間を緩衝装置が媒介するというこのパターンは運動組織の各階層で、同伴者(シンパサイザー)・一般党員・精鋭部隊というかたちで繰り返される。この独自の階層性が全体として外的世界と運動の中心部分との間の緩衝装置として働き、全体主義イデオロギーの機能、イデオロギーと外的世界のリアリティとの関係・非関係を保証するのである。》
《さらにそうした階層構造そのものが、たえず新たな層が加えられ、権力の中心が移動するというかたちで、全体として流動性をもっているのが全体主義の特徴である》。
《そのような流動的な階層構造を特徴とする全体主義運動は、絶対的な命令と服従関係に基づく軍事組織とは相容れない。》
全体主義における準軍事組織の意義はもっと別のところにある。(…)権力掌握前の突撃隊や掌握後の親衛隊の幹部は正常な日常の世界から切り離されて、犯罪集団をモデルとして組織された殺人行為に利用される。》
《(ア)運動にとって組織された暴力は仮構の世界をとりまく最も有効な防御壁である。自分が非合法活動の共犯者となることより運動から離れることの方を恐れて、運動の敵になるよりその一員である方が安全だと構成員が感じるようになった時、その仮構の世界の「リアリティ」は保証される。》
●軽蔑とシニシズムによるヒエラルヒー、「中心にいるエリートは運動のイデオロギーを信じることを要求されない」。
《奥義に通じた少数のサークルを、半ば通じたメンバーが取り囲むというかたちで階層が形成され、これらが全体として、外の現実敵世界---運動から見れば敵対的な世界---に対する緩衝装置として機能するのである。ここで重要なのはリーダーとエリート、一般党員、同伴者(シンパサイザー)の相違と相互の関係である。》
《(ア)エリートの隊列と党員とシンパサイザーという組織的区分がなければ、リーダーの嘘は機能しない。侮蔑のヒエラルヒーとして表れるシニシズムの等級付けは、〔事実によって〕絶えず行われる反駁に抗するために、少なくとも単純な軽信と同じくらい必要なのである。ここでは奥義に通じていない市民をフロント組織のシンパサイザーが軽蔑し、騙されやすく過激でもない同伴者を党員が軽蔑し、同じ理由から一般党員をエリート隊列が軽蔑し、エリート隊列の内に新たな組織が設立されて発展していくに伴い同様の軽蔑のヒエラルヒーが形成される。こうしたシステムの結果、信じやすいシンパサイザーが外の世界に嘘を信じさせてくれるし、党員のエリート隊列の段階ごとのシニシズムのおかげで、指導者は自分のプロパガンダの圧力に負けて言明したことを実行して体面をとり繕う羽目に陥らずにすむのである》。
《外部の世界に対する嘘とシニシズムのこのような階層的構造の中では、その中心にいるエリートはもはや運動のイデオロギーを信ずることを要求されない。》
●エリートたちは…
《(ア)エリートを構成しているのはイデオロギー信奉者ではない。(…)ユダヤ人種が劣等人種であるという証明がないとユダヤ人を殺せと命令できない大衆メンバーに対して、ユダヤ人はすべて劣等人種であるという明言をすべてのユダヤ人は殺さねばならないと理解するのがエリートの隊列である。彼らは、モスクワにしか地下鉄がないと言われたら、すべての地下鉄を破壊すべしという命令だと理解するが、だからといってパリに地下鉄があるのを見ても別に驚きはしないのである》。
《みずからの運動のイデオロギーの内容そのものから自由であることが、全体主義運動のヒエラルヒーの最中心層の特徴である。》
《虚構の世界をめぐって展開される全体主義運動の内部では、もはや現実の失敗は問題とはされない。運動が組織されて権力を獲得すればするほど、そうした「虚構」はなかば現実として実現されていくことになるだろう。そうした「虚構」の実現に失敗して、リアリティによって復讐されるときに、全体主義は崩壊するのである。》
●これで半分くらい。残りはつづく。