2022/12/10

●今年はまだ一度も暖房をつけていない。暖房どころか、日の出ている昼間には窓を開けている。痩せ我慢マウントをとりたいわけではない(神奈川の南西部は温暖だ)。部屋の中でも厚着だが、厚着さえしていればまだそんなに寒くない。だが、水(水道水)はとても冷たく、手を洗おうとすると手先から熱がうばわれる感覚があって、寒気が走り、水の冷たさに冬を感じる(食器を洗うのが辛い)。

●VECTIONとして、「bot議員のすすめ」というテキストを書きました。我々は本気ですが、一種のSF(Speculative Fiction)として読んでもらってもいいと思います。

追記。画像は「bot議員」という語で、Midjourneyを使って生成したものです。

 

現状の選挙という制度は、世襲や地盤引き継ぎによる優位など暗黙の不公平さがあり、さらに投票日の天気など、全く無意味で偶発的な要因に結果が大きく左右される。にもかかわらず、一度当選してしまえば長期にわたって権力を維持できてしまう。つまり、民意の反映ということに対して、とても「感度が鈍く」、そして「速度が遅い」。

(…)現状の代議員制が、選挙で当選した個人に対して、あまりに大きな権力を、必要以上に長い期間にわたって持たせてしまう(個人の裁量に大きく依存し過ぎている)問題についての認識が、現在の民主主義のあり方に危機感を持つ人たちにある程度は共有されているということかもしれない。選挙で権限を委任されただけの大統領が多数の国民が反対する侵略戦争を決意するのを止められる仕組みが必要なのではないだろうか?

(…)現代的テクノロジーを根拠としたセンサー型民主主義は、十九世紀的な科学主義である共産主義と、一見客観的にみえる科学=技術という「強い」根拠をもつ点で共通している。かつて、その根拠の強さが、科学と称した空想的で遠い「革命後の共産主義社会」を信じることへの強制や恫喝と、その手段としての現在の苦痛に対する軽視へとつながり、さらにはそうした状況をうまく利用して立ち回る人間の独裁を生み、20世紀に凄まじい量の死者を生み出した事実も忘れたくない。

ここでは仮に、これまで見てきたような「自分の意志を持たない議員」のことをアルゴリズム議員と呼び、通常の議員(仮に裁量議員とする)と区別したい。アルゴリズム議員は、裁量議員と対になる概念としての名だが、やや呼びにくいため、我々はここで(軽い自虐=アイロニーやユーモア的な緩さを込めて)「bot議員」という愛称を提案する。botとは、ここで勝手にWebページを収集してきたり、自動で株取引を行う比較的単純なプログラムという意味で使う。

(…)我々には、「熟慮(=合議)」と「専門知(=エリート主義)」が、「多様性を持つメンバーの集合知(=統計)」よりもどんな場面でも優位であるという前提に対する懐疑があるからだ。集合知には、人間の認知限界を超えた判断ができるという利点や、どんなに優れた個人でも免れることができない無自覚なバイアスを中和できるシンプルな割にメリットの大きい可能性があるのだ。

いずれ世界に、bot議員と裁量議員とが、半々くらいで存在するようになるのではないだろうか。

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