2019-01-30

橋本治が亡くなったというニュースは大きなショックだ。橋本治が平成を越えることがなくなった。

持続的な読者ではなく、最近のものはあまり読んでいないし、たまに読んだとしてもそれほど興味がひかれることはなかった。だけど、十代の頃には熱心に読んだし、とても大きなインパクトを得た。その頃に(実際には二十歳ちかく離れているのだけど)自分のすぐ上の、兄のような位置にある作家だと感じていた。だからなのか、橋本治という名前には、いつまでもずっと「若い」作家のような感覚が貼り付いていた。

人が人の存在に頼る、というようなことがある。ぼくは、橋本治に会ったことはなく、話したこともない。それでもどこか、橋本治という人が存在していること、「その人がこの世界にいる」という事実に頼って生きてきたという感じがある。そのような橋本治が消えた。

●下に引用する橋本治が書いていることは、ぼくの実感ととても近い。

《平成の三十年は不思議な時間だ。多くの人があまり年を取らない。たいしたことのない芸能人が、古くからいるという理由だけで「大御所」と呼ばれる。年を取らず、成熟もしない。昔の時間だけがただ続いている。》

(「人が死ぬこと」)

http://www.webchikuma.jp/articles/-/1424

この三十年で世界は大きく変わった。日本は回復不可能なくらい貧しくなったし、さまざまなシステムはあからさまに崩壊した。しかしその一方で日本では、変わらないことはびっくりするくらいに変わらなかった感じもある。「昔の時間だけがただ続いている」という感覚は確かにある。

上の文章は、自身の死にかんする自己言及のように読める。橋本治は「たいしたことのない芸能人」ではないが、彼自身が「古くからい」て「あまり年を取らない」(ずっと一線で書き続けていること)ことで、「昔の時間」を持続させている人の一人だった。西城秀樹が六十を過ぎても「ヤングマン」でありつづけたように。少なくともぼくにとってはそのようにみえていた。

大学に入ったのは平成元年(1989)で、ある意味ではぼくの時間もその時点でとまっているようにも思われる。今も大学に入った頃とかわらずにだらだらと、お金も社会的な地位を得ることもなく、なにものでもないまま、それでも生きつづけている。そのような区切りのなさのなかで、橋本治は、ずっと八十年代---それは平成の前であり、昭和の末期である---からつづく時間の連続性を支えているような存在の一人として感じられていたと思う。

時間がとまったまま、曖昧に崩壊がじわじわきているような、妙な宙づり状態の持続をぎりぎりで支えているような何かが消えていく。おそらく、これからいろいろなことが変わっていくのではないか。たぶん、われわれはその程度には「年号」というものに捕われている。若くはないぼくにとってそれは大きな不安でもある。しかし同時に、あまりに「変わらない」ことに苛立ってもきた。

実際、あの橋本治がこの世からいなくなった。

(安い居酒屋に入ると、八十年代のヒット曲ばかりがつづけてかかっているということが割とある。必ずしも、五十代の客が中心というわけでもないような店なのに。この場所の時間が、年寄りの夢のなかに置き去りにされてしまっているかのような感覚になる。)