2019-12-27

●引用、メモ。小鷹研理さんのツイッターから。

https://twitter.com/kenrikodaka/status/1209711630239404033

《M1のぺこぱのつっこみを見てて、真っ先に連想したのが、なだぎのディラン・マッケイ。そういえば、最近見ていいなと思った、涼宮ハルヒキョンの延々と続く自分語りにも、ディラン・マッケイを感じてた。過剰な「自分語り」「自分ツッコミ」は、自らを、語る主体から語られる客体へと反転させる。》

《ところで、自らの語りの殻の中に閉じこもるような自己愛的・自己防衛的な所作に当然付帯するであろう、くどくどとしたイヤらしさみたいなものが、彼らの場合、なぜ、あれほどまでに解毒されているのだろう。ここには、一人称と三人称との間の、例ののっぴきならない位相関係の反映があるように思う。》

《世界(他者)と自己の間に生じる摩擦を、過剰な語りによって不断に調停していくことで、自らを他者化し、かえって難局を突破していくようなリアリティーを、とりあえず、ここではディラン・マッケイパースペクティブ命名しておこう。来年の授業とかで、少し掘り下げて考えてみたい。》

(小鷹さんが書く通り、ぺこぱの特徴は、ナルシシズム云々にあるのではなく、ボケを否定しないツッコミにあるように思う。ボケ---非常時---に対して、まず「とまどい」として脊髄反射的に否定的反応を示してしまうのだが、まさにその反応が発動している最中にある種の「思い直し」が生じて、否定が反転して肯定---受け入れ---に変化する。否定が肯定へと折り返す。この、肯定への変化---受容的巻き込み---が、否定的反応が起きている時間の幅のなかで起こるところが面白い。そしてそのような折り返しを可能にする「時間の幅」は、起きている状況を自分に対して再説明するかのような「反省的自己記述」(による結論の先延ばし)によって確保されているようにみえる。)

https://twitter.com/i/web/status/1210437625447772166

《「笑い」も「痛み」も「恐怖」も予期と応答のズレに対する反応の三つの異なる位相であると考える。笑いは、ズレを想定内のものに書き換え、痛みと恐怖は、行動によってズレを解消するように働きかける。そのようなかたちで、いずれも自我の安定的な運用に寄与している。対して、僕が考えたい位相は、》

《笑いの予感、痛みの予感、恐怖の予感の圏域に留まる、まだ明確にラベリングされない無意識の震えのことであり、ズレによって不安定化する自己に対して、即時的な処方箋を与えることなく、不安定な状態を維持したまま、むしろ不安定性を利用して、じわりじわりと自己の変態へと誘っていくようなもの。》

《(しばし「ボディジェクト指向」における痛みの予感について考えている。)》

https://twilog.org/kenrikodaka/hashtags-R4

《以下、「痛いと叫ぶべきときに笑った患者、ミッキー」 p66-69 (『脳の中の天使』V.S.ラマチャンドラン)》

《「ジョークやユーモラスな出来事はみな、次のような形式にしたがっている。あなたはまず、段階を追ってストーリーを語り、聞き手をしだいにまちがった予想に導いていく。そして最後に予想外のひねりをもちこみ、そこまでの内容をそっくり再解釈せざるをえなくして、落ちをつける。」》

《「(中略)ふくらんだ予想がしぼむことは必要条件だが、十分条件ではない。もう一つ、新たな解釈がささいなことでなくてはならないという、重要な要素がある。(中略)道を歩き始めた医学部の学部長が、目的地に着く前にバナナの皮ですべってころんだとする。」》

《「もし頭がぱっくり割れて血が噴き出したら、あなたは助けに駆け寄り、救急車を呼ぶだろう。笑いはしない。だがもし、彼がけがをせずに起き上がり、高価なズボンについたバナナの汚れをふきとったら、わっとわらいだすだろう。これがドタバタ喜劇と呼ばれるものだ。」》

《「重要な違いは、一つめの場合には緊急の対処を要請する本物の警報があったという点である。二つめは、まちがい警報で、あなたは笑うことによって、近くにいる仲間に急いで助けに駆け寄って資源を浪費しなくてよいという情報を伝える。笑いは「だいじょうぶだ」という自然の信号なのである。」》

《「説明がつかないのは、出来事全体に、わずかにシャーデンフロイデ(他人の不幸や災難を喜ぶ感情)の傾向が伴っている点である。」》

《痛みの感覚は側頭葉の奥に畳み込まれた島で処理された後、前頭葉の前部帯状回に送られる。痛みの<不快さ>が生じるのはこの段階。『痛さを笑う』シンドロームの患者はこの経路に障害を持つ。つまり「島は基本的な痛みの感覚をもたらすが、それが恐怖につながらないという状態になる。」》

《「(中略)したがってそこには笑いの二つの重要な構成要素がある。警報を受けたという(島からの)切迫した明白な指示と、「たいしたことではない」という(前部帯状回の沈黙による)続報である。よって患者は、抑えきれない笑いを起こす。」》

《くすぐりも同じ構造。いっぱいに膨らんだ危険の予期とその解除。「牙や爪が肋骨に食い込んで命とりになるかと思ったが、それは波のようにくねるただの指だった。そして子どもは笑う。」》

《「このまちがい警報説はドタバタ喜劇を説明づける。(中略)まちがって想起された危険の予想をしぼませることによって、想像上の危険性に資源を浪費してしまう結果を回避する役割を果たしているのかもしれない。」》

《「ユーモアは、究極の危険性 --- 私たちのような自己意識のある生きものが、つねにかかえている死の恐怖---との無駄な闘いを防止するための効果的な対策として役立っているとさえ言えるかもしれない。」》

《最後に、「間違い警報説」による「挨拶におけるほほえみ」の解釈。》

《「類人猿は、ほかの類人猿が近づいてくると、、潜在的に危険なよそものが近づいてきたとみなすため、顔をしかめて犬歯をむきだし、戦う用意があることを示す。これがさらに進化して、反撃してくる可能性のある侵入者に警告を発する攻撃的なしぐさとして、儀式化された脅しの表情となった。」》

《「しかし近づいてきた相手が友達だとわかった場合は、その脅しの表情が途中でとまり、中途半端なしかめ面が慰撫と親しみの表情となる。この場合も、潜在的な脅し(攻撃)がだしぬけに中止される。これは笑いの必須要素である。ほほえみに笑いと同じ主観的感情がともなうのは不思議ではない。」》