2020-01-30

●リンク先の「暮らしの手帖」の表紙の絵がすごく良い。マグカップによる知覚(マグカップが知覚する卓上)が表現されている。

それを実現するのが内と外との反転だ。外側が内側に畳み込まれ、内側が外に開く。反転は二重化されている。まず、マグカップの内側と外側とが反転し、さらに、それによってもたらされた「マグカップの知覚」にあらわれるそれぞれのオブジェクトにおいても、内側と外側が反転している(ピッチャーは自らの内部にある水を知覚しており、食パンは食パン自身---あるいはトースター?---を知覚しており、皿は自らの上に置かれた目玉焼きや葉物野菜を知覚している)。そこにあらわれるのは、我々が知る3+1次元の時空間とは別様に構成された時空間だ。それに触れる時、我々も幾分かはマグカップになる。さらに、カップから見られたパンにもなり、皿にもなる。

(おそらく、さらにもう一回反転することで、私は「私の位置」に戻ってくるのだが、その時は既に、私とマグカップ、そして皿との関係は、以前とは別のもの---主体-客体関係とは別のもの---になっている。)

(ピュリズム的な表現の延長線上にありながら、その裏表がくるっと一回、二回とひっくり返っているところが新しい。)

https://twitter.com/kuratechoeigyou/status/1220594609752952832

スクショ(↓)

 

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