2020-02-16

●猫舌SHOWROOM「豪の部屋」は毎週たのしみに観ているのだが、ゲストに、ゆうこすとかぁぃぁぃのような意識高い系の人(雑な括りだが)が出てくる回だと、どうしても苦手意識のようなものを感じてしまう。そして、YouTubeで、過去の、絵恋ちゃんとかコショージメグミとかハイパーヨーヨとかの回を観ると安心する。

福田花音(まろ)は、意識高い系とは異なるので苦手という感じはないが、なんといっても元々ハロプロの人であり、スマイレージの人だ。ハロプロからデビューできる人は、アイドルをめざすあらゆる人たちのなかで最も厳しく選ばれ、最も厳しく鍛えられたエリートと言えて、そういう人は環境への適応能力が高く、アイドルをやめて、アイドル以外の何をやっても、何でもそれなりには出来てしまうような優秀な「できる人」だろう。

ぼくが興味をもつのは(吉田豪的な表現では「ポンコツ」と言われるような)そうではない「できない人」の方だ。どのような環境にもすんなりとは順応できない「できない人」が、その「できなさ」を(抑制するのではなく)前面に出すことで、「できないこと」そのものをそのままポジティブな何か(表現)へと変換し、反転させること。できないことを少しでもできるようにと努力するのではなく、自分の「できなさ」そのもの(を、「芸能」という場で表現へと転化すること)によって、自らの居場所を得ようとすること。地下アイドルという存在に対するぼくの興味は、どうも、そういう点に(も)あるらしいと気づいた。

(これはいわゆる「ドジっ娘キャラ」とは違っていて、ドジっ娘キャラすら上手くできない、というときにどうするのか、という話だ。)

(結局、芸術というのも、そういうことなのではないだろうか。できないことをできるようにするのでもないし、できることをのばすのですらなく、できないことの「できなさ」を拡張し展開していくことによってある特異性にまで突き抜ける、ということなのではないか。というか、少なくとも、そういうことでもあるのではないか。)

●それとはまた別の話として、福田花音によるアイドル戦国時代当時の話はさすがに面白い(そもそも「アイドル戦国時代」という言葉を最初に使ったのが福田花音らしい)。また、アイドル戦国時代のキーパーソンの一人であり、鬼軍曹と呼ばれて恐れられ、アイドルの子供たちを圧迫的に追込んでいた元スマイレージのマネージャーの山田さんが、最近では---当時は追込まれる側の子供だったスマイレージ元メンバーの---和田彩花から影響を受けて「キム・ジヨン」を読んでいる、というのもいい話だ(この話は和田彩花の回で語られた)。