●「NiziUの『Step and a step』のAメロが間違っている論争」をみていて改めて思うのは、(サブスクやYouTubeでほとんど際限なく様々な音楽を聴くことができる現代においてもなお)音楽というものは基本的にドメスティックなものであり、強くテリトリー(あるいはトーテム)の表現として機能するものなのだなあということ。ジャズやソウルを聴いている人にはごく普通に感じられるサウンドや展開が、ポップスのリスナーや作家には「間違って」いるように聴こえる。そして、違和感がある、気持ち悪い、ひっかかる、という感覚を「間違っている」と表現してしまうことからわかるのは、規範意識というものが美(感覚)のなかに強く埋め込まれているということだろう。
つまり、音楽は人(の所属先)を識別するという機能をもつ。
(だからこそ「俺はロックが好きだ」という宣言が、サウンドやリズムの好みの表現である以上にアティチュードであるということがあり得るのだろう。)
(『Step and a step』がこれらの問題をあぶり出しているのは、全体としてはJ-POPの様式に忠実につくられていながら、たった一カ所その部分にだけ、しかも冒頭近くにいきなりという感じで、別の様式をぶっこんでいるからだろう。)
音楽は政治であるという言葉に正当性があるとしたら、ある特定の音楽がある特定の政治思想を表現しているということではなく、ある特定のサウンドやリズムのありようが、ある特定の集団(あるいは潜在的集団)の党派性を顕わすトーテム(あるいはエンブレム)として機能することがありえる、というところにあるのだろう。
(故に、近代以降のハイアートとしての音楽の展開は、「未だ存在しない=来たるべき集団」のためのトーテムの創造という側面があると言える。)
この問題(論争)それ自体が仕組まれたステマであるという可能性もあるけど。
NiziU(니쥬) Debut Single『Step and a step』MV
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
この件については下のリンクの動画が参考になった。
NiziU(니쥬) の『Step and a step』のAメロが音楽理論的に破綻しとるって批判しとるDTMerがおるんだって?プロの音楽プロデューサーのワシがこの曲を音楽理論でズバリ解説したるよ。(ハンサム判治のハンサム音楽道場)
https://www.youtube.com/watch?v=UzKNUax6kEM&t=608s
「ハンサム判治のハンサム音楽道場」は、下の動画も興味深かった。
グリーンスリーブスの謎。メロディにいろんなパターンがある原因を探る!固定ド、移動ド、短調の主音をドとするかラとするか問題が絡んどるのか?
https://www.youtube.com/watch?v=Fp3J9fIBAaw
宣伝。ぼくはなぜか「グリーンスリーブス」がとても好きで、過去に「グリーンスリーブス・レッドシューズ」という小説を書いたこともある(「群像」2013年8月号)。