●「東京画」(保坂和志)の舞台となる土地は小説では「××町」と伏せて書かれている。だがその位置は、部屋を借りようとする主人公に不動産屋が「人によっては車の音が気になるかもしれない」というので、《ここにくる少し前に遊歩道が環七の下をくぐるトンネルのようになっているところを抜けてきたから、環七に面しているのだったらなかわないと思いそれを訊くと、不動産屋は環七ではないという》という記述があって、そこから指定可能だ。玉川上水遊歩道が環七とぶつかった先には京王線の代田橋駅があるので、この小説の舞台は代田橋駅周辺ということになる。
小説には、この周辺が八十年代後半の不動産投機の騒ぎから取り残されていること、全体から「うらぶれている」という印象をもつこと、とはいえ、そのような土地でさえ時代の変化には逆らえないことなどが書かれるが、それはあくまで1988年から90年の代田橋であり、新宿からも渋谷からも近く、下北沢まで歩いて15分程度という土地なので、さすがに今では様変わりしているのだろうと思っていた。
しかし、この小説を講義で取り上げることもあって「代田橋駅」をGoogleで検索してみると、上位に「首都圏住みたくない街」というウェブサイトがヒットして、その記事(2018年6月にアップされたものらしい)にはいまでもかわらず「うらぶれている」写真が掲載されていて、少し感動したのだった。
●この小説が書くのは「なぜ代田橋なのか?」、そして「なぜ代田橋を××町と書くのか?」。まず、代田橋という町の匿名性がある。作中では、《ここに住む人でなければ××町という名が口にされることもないし、ここに住む人たち自身もいまここに自分の住んでいる家があるというそのかぎりにおいてしか××町に何がしかの感情を持たないだろう》と書かれる。
たとえば、浅草や四谷であれば、地名の背後に歴史と伝統が貼り付いている。新宿や渋谷であれば、有名な繁華街である。下北沢であれば、独自の文化的なブランドイメージがある。これらの土地(地名)は固有名性(固有色性)が高い。
しかし代田橋という地名では、「名」に対象を指示するという以上の意味が希薄である。つまり、虚構的、抽象的な「どこか」ではなく、あくまで現実的で具体的な場所である。しかし、そこが「そこ」でなければならないということが「意味」としては希薄である(あるいは、歴史として希薄であり、物語として希薄である)。具体的に「指示」はされるが、象徴的な意味はない。現実にある「(他ならぬ)ここ」であるが、「意味」としては他のどこでもいいような「どこか」でもある土地としての代田橋が「××町」として表現される。
意味として希薄であり、歴史として希薄であり、物語として希薄であるような土地にも「風景の厚み」はあり、それは人々の生きた「時間の厚み」を表現している。そして、そのような土地の「時間の厚み」を書くときには、意味にも歴史にも物語にも頼ることができない。その「頼れなさ」は、固有名への頼れなさであって、だから「そこ」は「××町」と記される。
そして、「××町」でしかない代田橋は、その意味への頼れなさにおいて、他にもある無数の「××町」たちの存在を想起させるだろう。