ピエール・ボナールを巡って(ピカソ/マティス)

かなり久しぶりにピエール・ボナールの画集を観ていて、その、距離感覚が崩壊してゆくような「痴呆的」な悦びに、ヤバいと思いつつも浸ってしまうのだった。ボナールという画家が痴呆的であるというのではなくて、ボナールの絵画が、人を「痴呆」へと直面させてしまうのだ。例えば、バルテュスのような画家の作品の生み出す「官能」が、その多くを図像=物語性に負っていて、その物語を味わう「主体」をある種の危機に直面させつつもそれを温存させる(物語を理解し解析する知性=主体がなければ、そこに「官能」は生成されないのだった。バルテュスという画家は、シュールレアリスムに対する批判としてクールベを利用したりする点や、その卓越したテクニックなどの点からみても、あくまで知的に絵画を構成している画家であって、だらしなく官能に身をまかせたりしない。)のに対して、ボナールの絵画においては、図像は色彩や絵具の触覚に侵蝕されて崩壊しつつあり、そこに知的な解析を行うための定点を設置することが出来ない。それは例えば、歩きだそうとして一歩足を踏み出すのだが関節に力が入らずに崩れ落ちてしまうような、しかしそれが現実なら地面によって受け止められるのだけど、夢のなかだとしたら支えてくれるものは何もなく、カクッと崩れる感覚が受けとめてくれるものもないままに持続して、カクッ、カクッ、カクッ、とどこまでも崩れつづけてしまうような、果ても無く身体か崩壊しつづけるような、そういう感覚なのだった。確かにボナールには、そのような崩壊感覚が、常に天国的とも言える調和的な(とろけるような、トラバター的な)快楽と安易に結びついてしまう傾向があり、セザンヌのような、イメージの崩壊と生成が同時にギシギシと軋みながら起こってしまっているような、イメージがそれを破壊しようとするノイズに常に曝されて存在しているような、そういう厳しさが欠けていて、つまりは良質のマイナーな画家だということになるのだが、しかしそのあまりの容赦なき危険な甘美さは、少なくともフランシス・ベーコンのような図式化されたか弱い「残酷さ」などよりも数段ヤバいものであるはずなのだ。ボナールを大嫌いだというピカソは、次のように言っている。

《(ボナールは)選び方を知らないのだ。ボナールが空を描く場合、かれはおそらくまず青くする。少なくとも、空はそう見えるからね。それからしばらく見つめていると、その中にモーヴ色が見えてくる。そこでかれはモーヴ色を一筆か二筆、ただ垣を作るように加える。それからこんどは、また桃色もあると考え、そうなると桃色もどうしても加えたくなる。結果は不決断の寄せ集めだ。もっと長く見ていたら、かれは空が実際どうあるべきかなどと決定することはせずに、黄色も少し加えることになるだろう。絵画はそんな風にして作られるわけがない。絵画は感覚の問題ではない。自然が知識や良い忠告を与えてくれるのを期待するのではなく、自然から譲りうけて、力を掴みとることが問題だ。だからわしは、マティスが好きだ。》

《もう一つわしがボナールを嫌うのは、連続的な平面にするために、画面全体を少しずつ、一ミリ四方くらいのかすかな震えのようなもので、しかも全体的にコントラストは出さずに、満たしてしまうあのやり方だ。黒と白、四角と円、鋭い点と曲線などの並置はどこにもない。有機的な全体のように作りあげられた極度にオーケストラのような表面だが、あの強いコントラストが作る、シンバルのじゃんじゃん鳴る大きな音は、一つも聞こえてこない。》(F・ジロー、C・レイク『ピカソとの生活』)

この発言は、いつもコントラストによってしか絵画を構成することの出来ないピカソの画家としての限界を示すものとしても興味深いのだが、ボナールの絵画を説明するものとして、とても的確な発言だと思われる。ピカソが速度の画家であり、自然のなかから素早く「力を掴みと」り、それをコントラストによって素早く絵画として構成するのに対して、ボナールは、ゆっくりと「不決断」を積み重ねて、色彩と触感の震えがじわじわと画面を満たしてゆくのを待つのだ。(そしてイメージがゆっくりと崩れはじめる。)この「遅さ」や「不決定」が、ピカソ的なスピード感への批判として機能しているからこそ、ピカソはこんなにもボナールを嫌うのだろう。ごく粗雑に単純化してしまえば、一目見れば分ること(自明なこと)を、じっと見ていると分らなくなってしまう、と言うことだ。じっと見ている「時間」によって、視覚に様々な不純なものがじわじわ侵入して、感覚が解けて、「選び方」をわからなくさせる。ピカソが、「そんな風にして作られるわけがない」というその解けた時間のなかでこそ、ボナールの作品は生成されるのだ。そしてこの「解けた時間」は、ピカソセザンヌから洗い落としてしまったものでもあるのだ。ここでピカソが「絵画は感覚の問題ではない」と言い切っているのが面白い。ピカソにとっては、絵画は、自然の解釈の問題(自然から力を掴みとること)であり、それを絵画化する時の形式の問題(他の絵画作品に対する批評的な距離)なのだろう。そして優れて「手の画家」であるピカソにとっての絵画の悦びは、見ることにあるのではなくて、描くことの方にあるのだろう。(ピカソは自然を効率良く「解釈」するための方法として、セザンヌをあっさりと形式化して利用する。ここで切り捨てられるのはセザンヌの固有性=歴史性であるだろう。)「だからわしはマティスが好きだ」とピカソは言うのだが、しかしそのマティスは決して「解けた時間」を手放すことはしない。

友人であるボナールの絵画を最も理解し、その才能を最も嫉妬していたのはマティスであるように思う。マティスはボナールが羨ましくて仕方がなかったのではないだろうか。しかしマティスは決してボナールのようには描かないだろう。資質としてはボナールに限りなく近いものがあるのだが、しかし同時に(いや、だからこそと言うべきか)、「解けた時間」のなかに埋もれてしまうことの危険さを、敏感に察知していたのだと思う。マティスの偉大さ、そしてその作品の複雑さ、難解さは、この二重性にあるように思う。(マティスは、セザンヌから、この二重性こそを学んだのだ。)「解けた時間」のなかで対象との安定した距離を失い、それによってほとんど距離零で色彩や絵具の質感を官能的な震えとともにまさぐるように触知する資質(痴呆的な資質)に恵まれたマティスは、しかしそこに強引に批評的な距離(絵画の形式性、あるいは媒介性)を導入せずにはいられないのだ。もちろんこの二重の方向性は、簡単に統合されたり両立したりしはしない。(決して「統合」されたりしてはいけないのだ。)そのことがマティスの絵画の、「一枚の平面」として割り切ることの出来ない(過不足ない1つの作品として閉じてしまわない)開放的な多層性というか、多次元性を可能にしているものだと思う。マティスはボナールよりもずっとずっと偉大な画家である。しかし、偉大であるからと言ってボナールに嫉妬しなくてすむ、という訳にはいかない。ボナールは絵画の「最も神経過敏な部分」をあられもなく露呈させていて、(ピカソのように否定的にであれ)そのことに反応しない者は絵画を理解することが出来ないとさえ思うのだった。