●「巨匠」のような立派な採光の良いアトリエではないので、制作は基本的に暗くなってから行う。蛍光灯の光に決して満足している訳ではないのだが、画面に丁度良く当たるように自然光が入ってくるという環境からは程遠い以上、ある程度安定した光が画面全体にフラットに当たっている状態が必要となる。昼間は周囲が明るすぎて、蛍光灯の光だけでは、光のムラを補正できない。でも実は、描いている時は必ずしも画面全体をみている訳ではないし、目だけで判断している訳でもない。例えば「色」を判断する時でも、この色とこの色がこういう割合で混ざり、それがこういう色の上にこういう状態(感触)でのっているから、こうである筈だ、という、行為を通しての把握である割合が大きい。だいたい、絵の具は乾くと色が変わるし、その場の光の状態によって色の印象などかなりコロコロ変わって見える。だから一番肝心な部分をつくりあげる時、目はそれほどあてにはできないのだ。(だいたいぼくは、作品をつくる時に完成された作品の視覚的なイメージは全く見えていない。中途半端にそれが「見えて」しまうとつくれなくなってしまう。事前にあるのは、作り方の手順や行為の感触のようなイメージであり、その作り方が導いてくれるはずのある「強さ」の状態としてのイメージだけのなだ。)勿論、行為の感触による構築が、しっかりと視覚的なものとして現れているかは目によって確認されるのだし、細かい補正には繊細な目が必要とされるのだが。
今日は、朝から雨が降っていて、入ってくる外光が弱くて均一なのと、起きた時から頭がすっきりして無性に描きたい感じだったので、午前中から制作をした。午前中に制作して、昼過ぎには風呂に入って(曇りガラスの窓から入ってくる、弱く白い光と雨音)、午後には映画を観に出かける。まるで「巨匠」の生活ような一日だった。観に行った映画は、アテネ・フランセ文化センターで、ストローブ=ユイレ『アン・ラシャシャン』と『アメリカ(階級関係)』。