●アルモドバルの『バッド・エデュケーション』をDVDで。さすがにアルモドバルだけあって、これだけ様々な要素をてんこ盛りに詰め込んで、しかし全体としてはすっきりと100分ちょっとで纏めてある。個々の要素はギトギトなのに、全体の印象はあっさりしている(「濃い」のに「軽い」)というのがぼくのアルモドバルの印象で、まさにキッチュでポストモダンな洗練の極みのような映画作家だと思う。(この映画は決して教会への告発でもないし、外傷をめぐる映画でもなく、勿論、アルモドバルは教会なんで大嫌いだろうし、外傷を否定しはしないのだけうけど、しかし、それらのものを出来る限り浅く、軽く、かつきらびやかなイメージとして扱ってみせることで相対化するという、良質の成熟したポストモダン的態度こそがあるのだと思う。)ぼくはアルモドバルを本気で「好き」にはなれないところがあるのだが、こういう「文化の爛熟」そのものであるような洗練をみせつけられると、それはそれとしてクラクラさせられてしまうのも事実。アルモドバルの洗練は、何といっても物語の語り口の巧みさにある。アルモドバルの映画には謎や曖昧さがなく、監督自身が全てを理解し細部まで完璧に操作しているということの見事さと退屈さとが共にあるように思う。でも、この映画では、様々な要素をあまりに手際良く処理しすぎていて、「処理」っていう感じにみえてしまうところもある。というか、要素を詰め込みすぎて軸がみえなくなって、何がやりたいのかがよくわからない感じになってしまったところがないわけではない。(終盤の展開は、教会=神父を単純に権威=加害者にしない相対化のために必要だったのかも知れないけど、どうしても蛇足に思えてしまう。)しかし、今、旬の俳優であるガエル・ガルシア・ベルナルを、あまり魅力的ではない、もっさりした感じの見せ方で出しつつ、鋭角的なフィレ・マルチネスと対比的に見せているところなんかは、妙に生々しくてエロかった。それと、やはり『ムーン・リバー』の使い方は素晴らしいとおもった。