ブリジストン美術館の坂本繁二郎展

ブリジストン美術館坂本繁二郎展を観に行く。やはり、画家は長生きしなくては、と、改めて思う。何と言っても、64年以降(つまり、82歳以降)に描かれた絵が圧倒的に良いのだった。この、最晩年の飛躍には驚いた。画家は、82歳になってからでも「化ける」こと(自分自身を更新すること)が出来るのだ、と思ったら、グッときて、泣きそうになってしまった。
展覧会を順路通り(時系列通り)に観ていて、フランス留学前の初期に描かれた、動物(牛や馬や豚)を描いた絵が良い感じだと思ったものの、フランス留学以降の作品は、今一つであるように思ったし、晩年の絵は特に、ほとんどクリシェと化した静物画(おそらく日本ではこういうのが「売れる」のだろう)だったり、あげく、「能面」を描きはじめてしまったり(日本の近代画家は大家になると必ずこういうものに回帰するのだ)して、またも、日本の近代絵画の「貧しさ」を見せられることになるのかと、少し凹みつつ観ていた。確かに、独自の、淡い色彩と、じっくり時間を重ねて、しっかりと画面に重ねられ、定着された絵の具の質感には、他にはない魅力もあるし、画家の才能を感じさせる。ちょっと面白いと思え、好感を持てる絵も、何点かはある。必ずしも上手な画家ではなく、馬の絵など明らかに形態がおかしかったりするのだけど、それを含めて独自の(天然の)「味」はある。しかし、複数の友人に薦められたのだが、そんなに薦められるほどには、際立って良い作品とも思えないなあ(画面のどこかを均してぼやけさせるような癖が気になるし)、という、うーん、という感じで観ていたのだが、(下手すると見逃してしまいそうだった)最後の部屋に入って驚いた。(その部屋は「晩年のはなやぎ」と題されていた。)まるで、ボナールとかルドンとかの霊がいきなり憑依したかのように、いきなり色彩が目覚ましく輝きだすのだ。それとともに、(お約束通りの静物画を描いていたのが嘘のように)構図も大胆なものになるのだった。勿論これは、いきなり全く別の何かが憑依したわけではなく、それ以前もあった、独自の色彩の感覚や絵の具の練りへの感覚が、その時に「作品」として上手く絡み合って、結実した、ということなのだ。82歳になるまで、飽く事なく持続されてきた実践が、ここで目覚ましい成果を得たというわけだ。画家はここで何かを掴んだのか、それとも、捕われていた何かから解き放たれたのか、どちらにしろ、最晩年の6年間、坂本繁二郎は、日本の近代絵画の貧しさの圏外に脱出することが出来たのだと思う。そして、それが82歳になってからのことなのだということが、また凄いと思うのだった。