●展覧会は、最終週に入りました。宣伝第二弾として、ドローイングの部分拡大画像を載せておきます。(画像3 http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/athings3.html)
●「見えてしまう」ことへの素朴な信頼。例えば、ブリジストン美術館へ行けば、エジプト時代の猫の彫刻が観られるのだけど、それを見て驚くのは、紀元前の古代エジプト時代の人も、今のぼくも、「猫」を、ほぼ同じようなものとして見ている、ということだ。おそらく、猫という生き物のもつ象徴的な意味とか、そこに付与された神秘的な感情とかは、全然違うのだろうけど、にも関わらず、それ以前の、たんに「見えている個物」としての猫は、つまり「目」が捉える対象としての猫は、同じ形をもち、同じ感触をもつ。あるいは、二万年前に描かれたとされる洞窟の壁画の写真を見ても、そこに描かれているのが「牛のようなもの」であることは、一目でわかる。(そしてそれが、自然に出来たシミが牛のような形になったのではなく、明らかに人によって意識的に「牛のようなもの」を表象したものだということも、一目で分かる。)二万年前の人間の「主体」のあり様など想像もつかないし、描かれた牛という表象物が、それを描いた主体や、彼らの社会のなかでどのように機能していたのかも、想像がつかない。にも関わらず、それは明らかに「牛のようなもの」であり、その表象物である、つまり、二万年前の人も現在のぼくも、「目」は、「牛」を(世界を)、ほぼ同じように、同じような捉え方で「見ている」、ということだろう。これは驚くべきことではないだろうか。