●リチャード・リンクレイター『スキャナー・ダークリー』をDVDで。これは酷い。もし映画館へ観に行ってスクリーンで観ていたら10分も耐えられなかったと思う。そもそも脚本とか演出とかが、たんにディックを「説明している」だけで退屈なのだけど、もし、普通に実写とCGで処理された映画だったら、そんなに面白くはないけど、まあ別に腹も立たないのだろうけど、このへんな気持ち悪い画面は何なのだろうか。だいたい、せっかくキアヌ・リーブスやウィノナ・ライダーが出てるのに、それをあんな汚い色と気味の悪い線で塗りつぶすというのは、どういうことなのだろうか。
単純な話、世界のなかには(あるいは「映像」のなかには)輪郭線なんてない。もともと線などないものを「線」として表現することには、何かしらの抽象化がなされる必要がある。このような点が全く考慮されず、映像の上に、ただ無神経な輪郭線がトレースされたような画面の、何と気持ちの悪いことだろうか。それにしても、この映画が色彩抜きでただ線描だけで表現されたものであったならば、まだマシだっただろう。この映画の画面の最も耐えられない点は、色彩の設定や彩色がまるでデタラメなところだ。特に酷いのが人物の顔と、背景の一部が広い色面として処理されている時だろう。線と色彩の関係について、マネを参照しろとまでは言わないが、すくなくても今までアニメーション表現が、線と色彩とを(あるいは平面性とモデリングとを)どのように折り合いをつけてきたのかということを、もうちょっとまともに考えるべきだと思う。
日本のアニメーションの良いところは、それがあじめから「平面(絵)」として構想されている点だと思う。それは、かなりリアルに描かれた絵であっても、あくまで「絵」として意識されていて、間違っても写真をトレースしたようなものではないということだ。(悪いところは、だからこそ、それがあまりに安易に「様式」に流れてしまう点なのだが。)あくまで絵として意識されているからこそ、輪郭線と色彩とが、割合とすんなり折り合いがつくのだろう。しかし、『スキャナー・ダークリー』のアニメーションスタッフ(特に彩色)が、まともに「絵が描ける」人とは思えない。まともなデッサン力があるとはとても思えないのだ。人の顔の表現など特に酷くて、何故人の顔を、まるで迷彩服みたいにあんなに何色にも塗り分ける必要があるのか。それに、その塗り分けに全く秩序がなくてデタラメなのが気持ち悪い。(まあそれは、「人の顔」を見てなくて、ただ「映像」だけを見ていると、こうなってしまいがちではあるのだが。)その色彩の塗り分けは、人物の顔の表情や肌合い、あるいは骨格などを意識してなされたものではなくて、たんにベタ塗りの広い色面をもたせるだけのデッサン力がないから、適当に細かく塗り分けている、というだけなのだ。たとえデジタル技術を用いようと、絵は絵だし、映像は映像なのだ。本来異なるものを結びつけて何かしらの効果を得ようとしたら、そこには何らかの技術やセンスが必要だと思うのだが、この映画のスタッフには基本的な「描く技術」が欠けているから、結局、絵も実写映像もどちらも殺してしまっているとしか思えない。
そもそもこの映画は、たんに「こういう技術を試してみました」という以上の「これがやりたい」というものが全く見えない。(誰にでも出来るような「現代アメリカへの批判」という意図は分かるけど。)本当は、はじめからアニメーションとしてやりたかったのだけど、まわりにそれだけの技術を持ったスタッフがいなかったので、絵コンテがわりに一旦実写で撮って、これを「お手本」にしてアニメにしましょう、ということなのだろうか。いずれにしても、ここでの監督の試みは、ことごとく失敗していると思う。