●『ブラック・スネーク・モーン』(クレイグ・ブリュワー)をDVDで。「あらすじ」をみる限りではぼくの最も敬遠したいタイプの映画じゃないかという予感がして(「セックス依存症の女の子を孤独な男がブルースの力で癒す」って...、しかも「鎖に繋いで」って...、えーっ、そういうの勘弁してよっていう...)、半信半疑で、嫌になったらすぐやめようと思って観始めたのだけど、意外によくて、最後まで観てしまった。(人に薦められなかったら決して観なかっただろう。)
お話の次元だけで言えば、トラウマも悪魔憑きも一緒なのか、みたいな、トラウマものとエクソシストを混ぜたような感じで、観ている途中でも、これ以上キリスト教色が強くなるとちょっときついなあ、とか思うところが何度もあったのだけど、その都度ギリギリで行き過ぎにならなくて、他にも、話が(欺瞞的な)嫌な方向や(いかにもトラウマ物っぽい)安易な方向に流れそうになると、その都度ギリギリで踏みとどまって「そっち」には行かないバランス感覚ですすんでゆき、映画が中盤を過ぎる頃になると、当初の疑いは消えて、すっかり信頼して映画の流れを見守るようになるのだった。
はじめのうちは、エロ映画をやりたいのなら半端に「いい話」に結びつけるなよ、みたいな嫌な感じに流れそうな匂いと(あの鎖はどうしても暴力的にインパクトあり過ぎるし)、あまりにもキリスト教的(アメリカ的保守)な価値観が前に出てき過ぎるんじゃないか、という予感とで、かなり引いた感じだったのだけど、本当にギリギリのところで絶妙に嫌な感じには流れなくて、そのうちに、音楽の力もあって、だんだん、これは素直に「いい話」ってことでいいんじゃないかと納得するのだった。
鎖で監禁とか言っても、監禁状態はあっけなく破られて、サミュエル・L・ジャクソンがすんなり他の人(牧師とか)の助けを借りてしまうところがけっこうミソで(ここでサミュエル・L・ジャクソンの「孤独」みたいなのを強調し過ぎると、随分と独善的な感じになってしまうだろう)、そのためにどちらかというとスモール・タウン物の佳作みたいになっている。(結局、孤独な男がブルースによって女の子を癒すのではなく、良識のある大人たちが若者の面倒をみる、若者の面倒をみることを通じて大人たちも救われる、若者と大人たちを媒介するのが音楽だ、みたいな話なのだ。この映画は「売り方」を間違っている。)
積極的に凄くいいとは言えないけど、こんな紋切り型の要素ばかりを集めて、ここまで説得力のある映画にしてしまうのは、アメリカ映画の底力なのか、それともたんに音楽の力なのだろうか。(ドラマチックな要素はいっぱいあるのだけど、そのひとつひとつをあまり深追いしないでサラッと流しているところもミソなのかも。)とにかく、バランス感覚の勝利みたいな映画だと思った。
主役の女の子(クリスティーナ・リッチ)は、ポカンとした顔がなんかすごく良かった。