●いつも行くスーパーの一つ先の角に「美容室○○」という看板が掲げられた建物がある。昭和三十年代的な雰囲気の、いかにも古い感じの建物で、今まで一度もシャッターが開いているところを見たことがない。一階が店舗で二階に人が住むというような構造なのだが、二階の雨戸も常に閉まっている。その二階の雨戸と窓が、今日は開け放たれていた。空き家を管理している人が、たまには空気を通さないといけないということで開けているのかと思い、そのまま通り過ぎようとして、シャッターが開いて、ガラス戸から中が見えることに気づいた。通り過ぎ際にちらっと目をやると、中は薄暗いのだが、かすかに見える程度にぼうっと明るい店の空間の中心辺りに人が立っているのが見えた。お婆さんだった。あ、人が居ると思って通り過ぎてから、立っている人の前にもう一人いたのではないかと残像に告げられた。残像に促されて、一瞬前に自分が見たものを解釈し直してみると、空間の中心部分にある洗面台のようなものの前で、一人は立ち、一人は座って、お婆さんがお婆さんの髪を洗っているということではないか、と結論された。「えっ、あそこ、営業してるのか」という驚きが起こるまでに十メートルくらい歩いていた。でも、今までは雰囲気からしても完全に空き家のようにしか見えなかった。何か特別なことがあって、今日だけは、昔の店で昔のお客を相手にする、とか、そういうことなだろうか。幻を見たような気持ちになった。
●前を通って、三月いっぱいで閉店したツタヤのあとが完全な更地になっているのに愕然とした。いや、解体工事がはじまったのは見ていたから、当然そうなっているという予測はついていたのだけど、あると刷り込まれているものがないのを実際に目の当りにすると衝撃的な感じ。アパートの前の、上り、平ら、下りと別れる三叉路を下り、突き当たりを右に曲がると丘に沿った道に出て、そこを道なりに歩くと広い敷地の農家があり、今はなくなってしまった栗の木があり、お地蔵様やお稲荷さんがあって、いつも引き戸の玄関が開けっ放しの古い平屋が並ぶ路地を抜け、丘の上の貯水槽まで一気に百段以上上る急階段へと続いている道を横切り、公園が見えると、その先に広い駐車場とツタヤがあった。この道を一体何回通っただろうか。店があった時よりもずっと広く感じられる面積の土が露出している前にしばらく、声は出さないけど「えーっ」と言っている口の形で、立ち尽くしてしまう。ここは確かツタヤの前はスーパーがあったはず。それはもう、十五年とか、もっと前のことだったと思う。そのことをツタヤがあった時は思い出さなかった。
●「群像」に掲載された一つめの小説に出てくる(自分で自分を背負う)階段は、ツタヤに行く途中で見えるこの急階段だし、二つめの小説で、鳥居のような物体が出現して消えた空き地や、「もう一人のスタッフ」が「見ない」栗の木も、ツタヤへ向かうこの丘沿いの道の途中にある。
●ツタヤに向かう経路もまた、その向かう先であったツタヤがなくなることで、なくなる。その間にあるものは、すべてありつづけるとしても、ツタヤに向かうための経路としての関係性は消え、また別の関係性へと(例えば「小説」として、例えば「ある日の散歩」として)再編成されるための潜在的要素となる。
●去年の五月に紀伊国屋サザンシアター行われた日中韓合同の大江健三郎シンポジウム(あれからもう一年経つのか…)の講演原稿が、中国の雑誌に翻訳、掲載されたという話は聞いていた。人民元(現金)で原稿料もいただいた(どうやって「円」にしていいか分からないのでそのまま持っている)。今日、その雑誌が届いた。パラパラとめくってみると、当たり前だが漢字ばかりがダーッと並んでいる。ちょっといかつくて怖い感じ。それに、普段使っている見知った漢字と、使わない見知らぬ漢字が混ざっているので、文字化け的な不思議な感触もある。
エドワード・ヤンの『クーリンチェ少年殺人事件』で、教師が、中国語は最も合理的な言語だ、英語では「mountain」と書かなければならないことを「山」と書けば表現できると言い、それに対して生徒が、じゃあ私(我)はどうですか、と茶々をいれる場面があった。それに腹を立てた教師が、そんなに「我」が好きなら前に出て黒板に千個書けとか言うのだった。この場面は教師の一方的で威圧的な態度が表現されているのだが、それでもこの教師の言う事はもっともでもあり、漢字ばかりがダーッと並んでいる紙面は、いかにも情報が圧縮されているという迫力がある。そしてその迫力は、やっぱりちょっと恐怖感をともなう。