●昨日の天気予報では今日から天気は下り坂みたいなことを言っていた気がするのだけど、今朝の天気予報では今日いっぱいは天気がもつようなことを言っていた。アトリエの隣の敷地の境のあたりにチューリップを細長くしたような花が咲いていて、頭の部分をこちらの敷地に突き出すようにのばしている赤を内包したような黄色い花(まあ、オレンジ色といえば簡単なのだが)に光が射してゆらゆらしているのがアトリエの中から網戸の網越しに見えて、おまけに裏にある幼稚園から子供たちが遊ぶ声が聞こえているし、入口から網戸に向けて気持ちのいい風が通り抜けるしで、やるべき用事があるとはいえ、明日から一週間くらいは雨か曇りのようだし、こんな天気で昼間から部屋のなかにいるのはもったいない気がしてくる。
引っ越してから海の近くまでは行ってもまだ海までは行ってなくて、歩いて片道四十分弱くらいだから二時間あれば充分往復できるとすれば、四時前には帰ってこられるからその後つづきをすればいいと思って出かけることにした。
●小学生の頃は地元の土地の六割以上は田んぼか畑で、というか畑は少しでほとんど水田だった。農業用水路でザリガニやフナを捕るとか、笹の葉で舟をつくって競争させるとか、たんに水につかりたくて水路を歩くとか、書いている自分でも絵空事のように感じてしまうような牧歌的な遊びを学校の帰りに毎日やっていた。今ではそれらはほぼなくなって家が建っているけど、まだ隙間のような土地に畑やビニールハウスなどは残っている。ただ、水田はまったく見なくなってしまったなあと思っていた。だが、海まで行く経路をいつもの川沿いの道とは少し変えてみたら、遠くからでも「それっぽい」感じの広がりが見えて、そちらの方向へ行ったらやはり水田だった。まだ田植えをしたばかりという感じの緑の小さい苗が風でゆらゆらゆれ、四角く広がった水面が空を反映していた。ちょうど田の真ん中を突っ切るような道があったのでそこを歩いた。ただ、その水田も土地全体の三分の一くらいは、水が引かれてなくて、明らかにここ数年は放置されているという感じで荒れていた。
●海岸にはまったく人がいなかった。いや、まったくいないのではなく、波打ち際から釣りをしている人が一人、防波堤で昼寝をしている人が一人、波打ち際にすわって海をぼんやり眺めている人が一人(すべて男性)、そして日笠をさした女性の三人組がいた。しかしそれらの人たちは、ずーっと先まで視界が開けている海岸と海のひろがりのなかで米粒のようで、おおきな距離を隔ててぽつん、ぽつんといるので、まったく誰もいないよりも「人がいない感」が強くなる。海岸には仕切るものも視線を遮るものもなく、あまりにも開放的な空間であるからこそ、人が少ないと一人一人が限りなく閉ざされた感じになる。ぽつんぽつんといる人たちの間を縫うように砂浜を歩く。西へと歩いて行くと通っていた高校が見える。高校の教室からは海岸が見えた。防波堤で寝ているサーファーや、砂浜を散歩したり走ったりしている人を授業中などにも見ていた。海岸を歩きながら、高校生の頃の自分に見られているような気になった。いや、というよりむしろ、高校生の自分として四十五歳の自分を見下ろしている感じの方が強いかも。
●散歩の途中でみつけた。道路標識を再利用して塀にしている。
●そして、人のいない海岸。
●今日のドローイング。