●お知らせ。9月1日に、尾道にある「なかた美術館」でレクチャーをします。
http://nakata-museum.jp/exhibition/
●もう一つお知らせ。8月31日(金)の東京新聞、夕刊に、ギャラリーαMの浅見貴子展についての評が載る予定です。
●中沢新一の『野生の科学』を読んで(まだ最後までは読んでないけど)、今までよく分からなかったレヴィ=ストロースの神話の変換式がようやく腑に落ちた気がした。
レヴィ=ストロースの神話の変換式は以下のようなもの。
fx(a):fy(b)≃fx(b):fa⁻¹(y)
この式で、左側の式のfx、fyが関数として物語上での「機能」をあらわし、(a)、(b)が変数として「要素」をあらわす。そして、左側の式が(b)を媒介にすることで同型記号を挟んで右側の式へと変換されるということが表現されているらしい。すると、左の式の左項では変数-要素(a)が入り込んでいたfxという関数に、右の式の左項では変数-要素(b)が入り込むというように互い違いになり、そして右項では、機能と要素が逆転して(しかもマイナスがついて)関数がfa⁻¹となり、変数の位置に機能であったはずの(y)がくる、と。これは一体どういうことを現しているのか。
この式がよく分からなかったので、今までこれに関する解説のようなものをいくつか読んだけど、それはどれも、aという要素にマイナスがついて逆の機能を持ったとしても(例えば上昇が下降になり、熊と人の位置が入れ替わり、火が水となり、何かを得た、が、何かを失ったになったりしても)、物語は構造的にはかわらないのだ、みたいなことしか書いてなくて、しかし、そんなに簡単で当たり前のことを言うためにわざわざこんな面倒な式を持ち出すはずはないじゃないかとしか思えなかった。だいいち、「逆の意味」をもつだけなら、要素としてのaの位置と機能としてのyの位置とが入れ替わる必要なんてないじゃないかと思っていた。
ぼくが読み取った限りでの中沢新一の解釈だと、この式の「fa⁻¹」は、「要素」であった「a」が逆数になって、機能として潜在化して、そのかわり機能であったもの(y)が象徴的形象となって表に現れる、ということだ。つまり、意味が逆転することと、世界の図と地が裏返って地であった潜在性が形象化することとが同時に起こるということを示している。図としての「意味の反転」と、図が潜在化し地が形象化されるいわば「場の反転」とが、同時に起るということだ。図の反転が地の反転を巻き込み、あるいは、地の反転が図の反転を巻き込む、というような。
例えば、アマゾン流域に住むコギ族について。コギ族においては(ざっくり単純化すれば)、建物や空洞などの「内」が女性原理(子宮)の空間で、「外(上・天空)」が男性原理の空間であるというコスモロジーがあるとされる。そして、砂時計型(支え柱を漏斗状に組み合わせた、上部にくびれ-ねじれをもつ構造の)寺院を集落のなかにもつ。この寺院においても、その内部は女神の子宮だと考えられている。この寺院で重要な儀礼がおこなわれる。
寺院の内部に男性の神官が入っていって女神官と性交の儀礼をする。これによって≪諸関係が反転を起こして≫、上下反転して寺院のてっぺんに天を向いた女性器があらわれる(寺院のてっぺん、支え柱が「X」形にクロスした上の部分、天に向かって開いたところ(∨)は、女神の女性器とされる)とする。中沢新一はそれを次のように書いている。
f内部(子宮):f天(男性原理)≃f内部(男性原理):f子宮⁻¹(天)
左の式が通常のコスモロジーであり、右の式が、そのようなコスモロジーのなかから、儀礼-性交が行われることによって、象徴化された女性器-子宮が天(上部)にあらわれるというシステムである。つまり、女性原理の空間である寺院の内部に男性原理を体現する男性神官が入り込むこと(左の式から右の式への移行する)で、寺院内部が男性原理化され(右の式の左項)、それによって押し出された「子宮=内部=女性原理」が女性器という象徴的な形象となって、寺院の屋根の上(天)に顕われる。ここでは天(男性原理)と地(女性原理)という上下反転が起きているだけでなく、閉ざされた内部-子宮であったものが反転して、外への開口部としての女性器という形象へと変化している。「子宮-内部」がら「女性器-開口部」への反転は、「袋」から「穴」へ空間的に裏返るということだ。
つまりこの式は、「反転しても構造は不変」という静態的な意味ではなく、「このようにして反転が起きるのだ」という動的なプロセスを示している。そしてその反転は常に二重性(要素の入れ替えと同時に、要素と機能の入れ替え)というねじれを伴っているということを示している。目にみえる入れ替え(要素-オブジェクトレベル同士の入れ替え)は必ず、目に見えない入れ替え(要素-オブジェクトレベルと機能-メタレベルとの入れ替え)を伴っている(巻き込んでいる)、と。
●ここからは中沢新一からもレヴィ=ストロースからも離れるのだけど、これをもっと推し進めてみると、寺院のてっぺんにあらわれた女性器-開口部を媒介として、内(限定-図)と外(無限定-地)との関係が反転して、つまり、寺院の内部が男性原理-天の空間となったとすれば、その外、寺院内部以外の宇宙空間の全てが子宮(内)となって、底なしの外の内となる(内こそが無限定-地となる)、ということは言えないだろうか(その時、天に向かって開いた開口部としての女性器は、寺院内へと向かって開かれたものとしてひっくり返る)。包摂するもの(地)と包摂されるもの(図)とが逆転する、と。まあ、これはまったくのいい加減な思いつきではあるけど。