●昨日書いたレヴィ=ストロースの神話に関する変換式。
fx(a):fy(b)≃fx(b):fa⁻¹(y)
これは要するに次のようなことだとぼくは理解した。同型記号の左側の式が、通常の(あるいは元になる)状態を表わしている。そこから、媒介者となる要素(b)が機能fyの位置から機能fxの位置へと移動する(同型記号の右側へ移る)。それによって、要素(a)が抑圧される。抑圧された要素(a)は「a⁻¹(1/a)」へと反転したうえで位置を移動して機能「fa⁻¹」となり、そこからはじき出された機能「y」が象徴化して(形象を得て)要素へと転生する。それによって「fa⁻¹(y)」という、新たな機能-要素が生まれる。
これはだから、抑圧されたものが形をかえて回帰するということでもある。あるいは、ある要素を抑圧することによって、今まで抑圧されてきたそのものの別の様相が姿をあらわすということだ。ここで、抑圧者(b)は媒介者であり創造者でもある。これは、左の式の状態から、右の式という「あたらしい何か(新たな機能とそれまで表現型を持たなかったものの形象)」が生まれたということであり、潜在的で形をもたなかったものが形をもつようになるということだ。しかもそれは、世界全体として「新しい要素」は何一つ加わっていないにも関わらず、配置の転換(による、関係性のねじれ)だけによって生まれる。
そしてもう一つ重要なのは、配置換え(ねじれ)が起こった後(右側の式)においても、式の左の項と右の項との対称性が保たれているということだろう。世界全体としての均衡は保たれつつ、何かが抑圧され、それにかわって別の何かがあらたに生まれる、というサイクルが動いている。この式が表現するのはおそらくそのような動きであろう。そして、その運動のなかから、「この式」には含まれない、底にあるなにものかがその都度汲み上げられるというイメージであろう。
●で、せっかく「わかった気になれた」のだから、ちょっと使ってみようと思って、試しに遊びとして、マティスの作品の何枚かにこの式をあてはめてみたら、びっくりするくらいきれいに当てはまってしまった。もちろん、それですべてが説明されるというような分析ではなく、作品中の、いくつかの要素と機能との関係が、この式でけっこうきれいに説明できるという程度のことだけど。いやでも、こんな風に当てはまってしまうのはまずいんじゃないかと…。危険な誘惑…。