●急に涼しくなった。風を通すために昼間じゅう玄関を開け放しているのだが、蚊取り線香を焚かなくても蚊がいない。昨日まででは考えられないことだ。一日でこんなにかわるものなのか。そういえば、この夏ずっと雨がなくて、ちょっと前にようやく数日雨がつづいた時、急に風呂場に小蠅がわいた。ちいさな虫は、こんなにも即効的に気象と一体化しているのかと思った。
●『世界の究極理論は存在するか』でドイッチュが量子論的多宇宙論の立場からバタフライエフェクト(カオス理論)を否定しているところが面白いので、メモしておく。もしこれが正しいとすれば、われわれの根本的な世界観(それに支えられている日常的な常識や感覚から哲学まで)がまったくくつがえされてしまうことになる。
●まず、ドイッチュによる、カオス理論とはどのようなものであるかの説明。
≪カオス理論は古典物理学における予測可能性の限界に関するものであり、「ほとんどすべての古典的システムは本来的に不安定である」という事実から生まれた。(…)この理論がかかわるのは初期条件に対する極端な敏感さである。たとえばテーブル上を転がる一組のビリヤードの球の現在の状況を知っているとしよう。もし、システムが古典物理学にしたがっているとすれば――事実、良い近似でそうなっているのだが――われわれは関連する運動法則にもとづいて、その未来のふるまい、たとえばある特定の球がポケットに落ち込むかどうかを予測できるはずである。≫しかし、≪通常はできない、というのが答えだ。実際の軌道と、ほんの少し不正確なデータにもとづいて計算された予測軌道の食い違いは、時間とともに指数関数的に、不規則に(「カオス的に」)大きくなってゆくので、しばらくすると、少しだけ不完全に知られた最初の状況は、システムが何をしているのかを推し量る指針にまったくならなくなってしまう。≫≪ある程度時間がたった後に、典型的な古典的システムがどうなるかを予測するためには、その初期状態をありえないほどの正確さで決定しなければならない。そこで、原理的には、地球のある半球における蝶のはばたきは、反対側の半球にハリケーンを引き起こすことができる、と言われる。≫
●「風が吹けば桶屋が儲かる」という風な、複雑ではあっても通常の因果律をもつ話なので、このような話はきわめて常識的に(常識をもとにそれを拡張することによって)理解可能であろう。しかしそれは量子論からみれば間違いであるとドイッチュは言う。
≪しかし、実際のハリケーンと実際の蝶は古典力学ではなく、量子論にしたがっている。初期の古典的状態の小さな指定のずれが急速に増大する不安定性は、断じて量子力学的システムの特徴ではない。量子力学では、指定された初期状態からの小さなずれは、予測された最終状態に小さなずれしか引き起こさない傾向がある。その代わりに、全然異なる効果のせいで正確な予想が困難になっているのである。≫
そういえば、リサ・ランドールの本でも、量子論に従う素粒子レベルのミクロの過程では、出来事の結果は、あり得るすべての可能性を足した上で、それを平均した値を取ると書かれていた。つまり突飛な結果にはならない傾向がある、と。
●ではなぜ、量子論的なシステムにおいても結果が予測不能なのだろうか。ここから先が驚くべきことになっている。常識とは大きく異なる、多宇宙論が出てくる。ここではもう通常の因果律ははたらかない。
量子力学の法則は、最初(すべての宇宙で)ある与えられた位置にあった対象が、多宇宙的な意味で、「広がる」ことを要求している。(…)われわれが後になって、何が起きたかを測定するときは、われわれのそれぞれのコピーがその特定の宇宙で起きたことを見ることで、われわれ自身も分化する。もし問題になっている対象が地球の大気であれば、ハリケーンはたとえば三〇パーセントの宇宙で起こり、残りの七〇パーセントの宇宙では起こらない。多宇宙の立場から見れば、すべての結果は現実に起きるにもかかわらず、われわれは主観的には、これを単一の可能な、すなわち「ランダム」な結果と知覚する。この並行宇宙の多重性が、気象の予測不可能性の真の理由なのである。われわれが初期条件を正確に測定できないことは、これとはまったくかかわりがない。≫
●これが正しいとすれば、われわれがどれだけ正確な測定技術を手に入れたとしても、天気予報はいつまでたっても「雨の確率何パーセント」という形のままだということだろう。すべての可能性はどこかの宇宙で「実際に起こっている」のだが、互いに相互作用することで分化する多宇宙のなかで、われわれ(わたし)が、そのどこ(どの宇宙)に位置しているのか(あるいは、どこに割り振られるのか)は事前には決定できないということになるのだから。つまり、世界(宇宙)は決してランダムではないのだが、われわれ(わたし)はそのなかの一つにしか位置取れないので、主観的にはそれを「ランダム」として経験するしかないということだ(この世界は完璧に「シュタインズゲート」と重なる)。よって、どのようにしても予測は不可能となる。
●ドイッチュは、きもちがいいほどすっぱりとカオス理論を否定する。その理由は、どの単独の宇宙においても、それ自身として自律した決定論(古典物理論的な因果関係の確定的な連鎖)は成立していない(あらゆる多宇宙間の相互作用によって結果が決定される)からだ、と。
≪蝶のはばたきは現実にハリケーンを引き起こさない。それはカオスという古典的現象は完全な決定論に依存しているが、この決定論はどの単一の宇宙でも成り立っていないからである。同等な宇宙のグループがあって、ある瞬間にすべての宇宙で特定の蝶がはばたいた、と考えよう。また、もう一グループ宇宙があって、蝶がはばたかないことを除けば、同じ瞬間には第一のグループと同等であるとする。数時間待ってみると、例外的な状況(たとえば、だれかが蝶を観察し、もしそれがはばたけば、ボタンを押して核爆弾を爆発させるといったこと)がない限り、最初はほとんど同等だった二つのグループの宇宙はあいかわらずほとんど同一だろう、と量子力学は予測する。≫
≪蝶がはばたいて、ハリケーンが起こる宇宙では、ハリケーンは確かに予測不可能である。しかし、蝶はそのことに因果的に責任を負っていない。というのは、蝶がはばたかないことを除けばすべてのことが同じなのに、ほぼ同一のハリケーンが起きている宇宙があるからだ。≫
●以上のようなことが科学的にどうであるのかということは、ぼくなどには判断のしようもない。しかし、このような思考の回路は、われわれが現実に対処するアルゴリズムの一つとして、既にリアルなものとして頭のなかにあるように感じられる。