●『マンハッタン・ラブストーリー』を四話まで。2003年のクドカンのドラマ。以前、人から面白いと言われて一話と二話を観たのだけど、その段階ではどこが面白いのかよく分からず、というか相当きっついというか寒いという印象だったのだけど(ネタが枯渇しているところを無理やりテクニックで押し切っているという印象だった)、それからしばらく経って、なんとなくもうちょっとつづきを観てみようと思って三話を観たら、その途中で、どう観れば面白く観られるのかを「掴んだ」という感じがあって、それからぐんと面白くなった。これはかなり複雑な作品というか、複雑に頭を使って観ることによって面白くなるような作品だと思う。観ながら同時に、観たり聞いたりしている以上のことを頭のなかで常に組み立てたりバラしたりしながら観るような感じ。というか、このドラマを観るという行為がそのまま、頭のなかをぐるぐるひっかきまわすことになるという感じ。これこそ、人に形式的な分析を促すような作品だと思った(まさに形式的で抽象的な作品だと思う)。
今までクドカンのドラマでちゃんと観ているのは『池袋ウエストゲートパーク』と『木更津キャッツアイ』くらいなのだけど、『マンハッタン…』を四話まで観て、もしかするとぼくは宮藤官九郎という作家のことを根本的に勘違いしていたのかもしれないと思った。というか、ほとんどはじめて興味を感じたのだけど。『マンハッタン…』以外も観てみたいという気持ちも出てきたけど、とりあえずこれを最後まで観たい。
●いったん、「相当きっつい」と思ったドラマのつづきを何故また観ようという気になったのかというと、これはまた別の人が面白いと言っていた『結婚できない男』(脚本・尾崎将也)という2006年のドラマを今、途中まで観ていて、これがとても面白いものなので、テレビドラマという形式(四十五分くらいの一まとまりが何回もつづく)で語られる物語にちょっと興味が出てきていて、じゃあ、せっかくなのであっちのつづきも試しにもうちょっと観てみようかと思ったのだった。というのもそもそも、最近観た何本かの映画(といってもDVDでだけど)が、どれもぼくにはぴんと来ない感じで、映画によって物語を語ること(フィクションをたちあげること)の限界のようなものを感じているということもある。これはあくまで「物語を語る」ということに限ってのことではあるけど。
●製作年も放送局も脚本家も異なるのに、『マンハッタン…』にも『結婚…』にも、どちらにも塚本高史と尾美としのりが出ていて、しかもどちらもほぼ同じような役回り(キャラ的、位置的に)なのが面白い。