藤枝晃雄が亡くなった……、と。いろいろありすぎて何も言えない(藤枝さんと個人的に何かあったということではないです、ご本人とはお会いしたことすらありません)。
●昨日の日記で書いた「粗忽長屋」では、「他者の脳(知覚と記憶の混同)」が、幽体離脱的な自己と自己との対面を可能にした。死んでいる自分を生きている自分が抱きかかえるという、どちらが抱いている自分で、どちらが抱かれている自分が分からなくなるという状況で生じている「わたしの脳の過程」のなかには、「他者の脳(による反応)」が織り込まれている。「わたし」は、他者(の脳)との対話のなかで、自分が既に昨晩死んでしまっていること、目の前の死体が「わたし」であることを納得するのだ。
しかしももっと直接的に、複数の「脳」が、意識以前の段階で互いに互いを織り込み合ってしまうということが生じることもあるのではないか。たとえば下の動画のように。
ご長寿はや押しクイズ(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=L4RiWpu98hU
●この動画は小鷹研理さんのツイッタ―で知った。
https://twitter.com/kenrikodaka/status/986140799564853249
小鷹さんも書いているけど、ここで重要なのは、普通の人が普通に喋っているときでも、人の頭のなかのプロセスとしては基本的に同じようなメカニズム(自他の脳の境を越えて干渉し合うようなプライミング効果)で動いているのだと思われること。ただ「普通の会話」では、文脈や場の空気による統制(抑制)がそれなりに強く働いているから、独立した個々の脳の間でなにか「意味のレベル」での交換が行われているかのようにみえているだけと考えられる。
そしておそらく、お笑い芸人は、そこで働いている文脈や場の空気の制御を意識的に緩めたり、効果的に異化させようとする。一方、ここで「ご長寿」の人たちがやっているのは、文脈の操作やズラしではなく、(文脈による統制の後退によって現れる)メカニズムそのもの---前意識的プロセス---の露呈だという点が違うと思われる。
(おそらく実際には、ボディランゲージなどを考えず、言語的なやり取りだけを問題としたとしても、「日常の会話」において起こっているのは、意味以前のレベルでのほぼ自動的な---自動連想的な---脳と脳の相互干渉であり、それは、わたしの脳のなかのある特定のニューロンと、他者の脳のなかにある別の特定のニューロンとが、神経的、化学的、電気的に接続するのとあまりかわらない形で、直接的に接続している、と考えることができるようなことがらではないか。そして、(対話の内容ではなく)それが起ることで、ある一定の満足や刺激を個々の脳(会話する人)が得ているのではないか。)
●プライミング効果。
《プライミング効果とは、先行する刺激(プライマー)の処理が後の刺激(ターゲット)の処理を促進または抑制する効果のことを指す。プライミング効果は潜在的(無意識的)な処理によって行われるのが特徴であり、知覚レベル(知覚的プライミング効果)や意味レベル(意味的プライミング効果)で起こる。前者の処理は刺激の知覚様式(モダリティ)の違いによって、それぞれのモダリティに特異的な大脳皮質によって媒介される一方、後者の処理は側頭連合野などの意味処理に関連する大脳皮質によって媒介される。》
プライミング効果(脳科学辞典)