●DVDで観たのだが、ジム・ジャームッシュの『パターソン』すばらしかった。序盤からほぼ半泣きみたいな感じで観た。フレームのひとつひとつがいちいち泣ける。
ジム・ジャームッシュももう六十代半ばで、それでもこんな映画をつくっている。それは「若々しい」ということではなく、年齢を重ねても少しもすれることがないという感じ。歳をとっても、濁ったり、疲れたりしていない感じ。文学好きで音楽好きの青年が、月日を経て、屈折もなくそのまままっすぐに爺さんになって、それを堂々と示しているというような映画だ。
ジム・ジャームッシュは、六十歳すぎても、あんな感じの(めんどくさそうな)女の子が好きなのか。「これでいいんだ」「そうか、それでいいのか」という説得力だけで(余計ないいわけや介在物がまったくなく)成立しているような映画だと思った。
これは「芸術家の生活(あるいは、芸術と生活)」の映画であり、この映画を観ると、ドラマチックな芸術家の生涯みたいな物語がいかに嘘くさいかもよくわかる。もしかすると、こんな風な感じで生活している夫婦など、実際にはこの世界に一組もいないのかもしれないのだが、それでも、これこそがリアルに生きられている「生活」なのだというような。こういうのが、フィクションの示す真実なのだと思う。
(言葉が書かれる、中断する。同じ言葉が繰り返され、付け足される。また中断され、そしてまた繰り返される。このようにして、少しずつ何かが形作られるその様を、こんなにリアルに表現しえているものがほかにあるだろうか。詩作と生活とが、絡み合いながらも、互いに混じり合わない二本のセリーとして進行する。詩は、あるいは制作は、生活と密接に絡み合いながらも、決して混じり合わない。)