2020-12-24

K-POPアイドルの、隙の無い完璧さ、クオリティの高さは、それはそれで素晴らしいと思うけど、ぼくは、日本のアイドルの、隙だらけであること(が許されること)によって成立する多様性が好きなので、日本のアイドルシーンが、(数少ない勝者だけが生き残ることの出来る)クオリティ競争の場になってしまわないことを願う。

必ずしも歌えなくてもいいし、必ずしも踊れなくてもいいし、必ずしも容姿がすぐれていなくてもいい。なにかみるべきところが一つでもあればよいし、みるべきところがあれば、足りていないところまで魅力となる。活動の規模も、大きくすることだけを目指さなくてもいいし、大きくなればよいということでもない(勿論、大きくすることを目指してもいい)。できるだけ長くつづいて欲しいが、しばしば問題(いざこざ)が起って、短命に終わってしまう。しかしその、今観なければいつ消えてしまうか分からないという不安定さもまた、魅力の一つとなる。ハードルを低く設定することで、さまざまな形式、さまざまなあり方で存在することが可能になる。決して全面的に肯定できるものではなく、看過できない問題が多くあるが、同時に、現状をよしとせず、問題を指摘し、すこしでも良い方向へ向かおうとする動きも常にある。

アイドルというのは、「みるべきところが一つでもあればそれ以外の欠点は基本的に受け入れるという態度」によって成り立っているもののことではないか(それは、ファンもまた、他者から---社会から---そのような態度で受け入れて欲しいという願いの反転かもしれないが)。この場合、「みるべきところが見事に一つもない」ことが唯一の「みるべきところ」だということさえも成り立つ。このような文化が、(日本ローカルであるとしても)資本主義のもとで成り立っているということが貴重なのではないか。

(だからといって、それがいつまでも成り立ち続けるという保証はない。淘汰されて消えてしまう可能性も少なくない。)