『バーニング・ゴースト』(ステファーヌ・バテュー)をU-NEXTで観た(ネタバレしています)。新しい感じのゴーストストーリーを期待して観てみたのだが、最初の方はかなり良くて、もしかするとこれはすごい当たりではないかと思ったが、途中で「幽霊が生身の女性と恋愛する」という展開になって、あんまりロマンチック要素が濃くない方がいいんだけどと思っていると(なにか『ベルリン 天使の詩』っぽくなってきたぞ、と思う)、まさに恋愛こそがベタにメインの話になって、しかも最後は虚実反転というか、主客逆転が起って、男の幽霊(ティモテ・ロバール)が生身の女性(ジュディット・シュムラ)を追いかけている状況だと思ったら、実は生身の女性の過去への妄執こそが男の幽霊を召喚していたという感じになって終わる。
(途中で使われる、プリテンダーズの「I Go to Sleep」の歌詞がネタバレというか、伏線になっている。)
男の幽霊は、この世に執着を残したまま死んだ(死んだことに気づいていない)人をみつけ、その話を聞くことで、すっきりとあの世へ旅立ってもらうという仕事をしている(その仕事をすることによってこの世に留まっていられる)のだが、実は、自分自身が(他者=生者による)執着の効果としてこの世に(おそらく何度も繰り返して)召喚されていたことになる。なんなら、自分がもつ彼女への愛情すら、彼女の妄執によって生み出されたものかもしれない、と。
男の幽霊は、なぜかこの世で唯一、洋服の修繕の仕事をしているおっちゃんとだけ通じ合っているのだが、それは、この修繕屋のおっちゃんもまた、一緒に住んでいるおばちゃんの「妄執」によって存在している人物だからなのかもしれない。
ただ、話の展開が期待した方向とは違ったとはいえ、描写は終始冴えているし(一カ所だけ看過できないところがあるが)、充実した作品であることは間違いないと思う。この映画はティモテ・ロバールのクローズアップから始まるのだが、ティモテ・ロバールの顔には鼻のわきにちっちゃな治りかけの傷がある。彼は幽霊なので、その傷は治ったり(あるいは悪化したり)はせず、はじめからおわりまでずっと「同じ状態」でキープされる。この傷が、ティモテ・ロバールが、幼さの残るどこかはかなげな存在である感じをすごく上手く引き出しているというか、強調している。そういう細かいところまで目が行き届いている感じ。そして、この映画は「衣装」がとても面白い。
(一カ所、看過できないところとは、男性からは女性が見えるが、女性からは男性が見えないという状態で二人が性交する場面があるのだが、この場面が、男が半透明になっているという形で表現されているところ。見える/見えないというのは、この映画の演出でとても重要なポイントで、そしてこの場面こそが「見える/見えない」が交差する大事なところなのに、こんな安易な合成画面で済ませてしまうのはありえない、と思ってしまう。)
(あと、最終的には、男性の幽霊は女性の妄執の産物だったということで差し引きゼロになる感じ---というか、女性がそれを望んでいたことになる---ではあるけど、女性から見えなくなった男性が、そのまま女性の部屋にいつづけるのは、普通に気持ち悪いと感じてしまう。)