2022/03/23

●『凱里ブルース』(ビー・ガン)をU-NEXTで観た、前から気にはなっていたけど、もっとはやく観ればよかった。熱いものがこみ上げるというか、なにかがかき立てられるような映画だった。ちょっと的外れかも知れないが、80年前後のパロディアス・ユニティを想起した(パロディアス・ユニティをリアルタイムで観ていたわけではないが)。若い人が、高い志をもって、バランスを考えたり時流に配慮したりすることなく、自分の野心(だけ)を信じて徹底的に無茶をやり切っている、という意味で。26歳の若者にこういう映画をつくることを可能にさせる中国は、日本よりもぜんぜん自由でいい環境なのではないかとすら思う(少なくともこの映画がつくられた2015年時点においては)。

(この映画では、物語的なネタバレを気にする必要はまったくないと思うけど、形式的なネタバレは避けて事前知識なしで観た方がよいと思われる。そして、以下には「形式的ネタバレ」があります。)

最初のうちは、登場人物たちの誰が誰なのかなかなか見分けがつかないし、現在と過去とが混在して、この場面はいつなのかもよく分からない。しかし、映画をずっと注意深く眺めていれば、そのうち、あ、あの場面はこういうことで、ここの場面とこう繋がっていたのだったのか、と分かるようにちゃんとできている。

「これは夢なのか」という主人公の呟きで終わる、延々40分つづくワンカットの場面は、ともかくも、これをやろうと思ってやり切ったということが、その迷いのなさがそれ自体ですごい(「わざわざワンカットで撮る意味あるんすかぁ」とか言ってくる奴は自分のなかにもいるのだ)。この40分ワンカットのなかで、おっさんである主人公が、旅先で出会った床屋の若い女性(結婚指輪をしている)にいきなりつきまといだすので、え、今までの調子とまったく違う主人公の唐突な一目惚れ展開はなんなのか、しかも相手が若すぎないか、と少し戸惑う。だがしばらくして、ああ、そうか、この女性は主人公が服役している間に死んでしまった妻なのか、と納得する。主人公をバイクに乗せて走る若者が、一人の若い女性を追いかけているという事実が、併走する系列として、主人公の死んだ妻を現実の関係のなかに生み出す(さらにこの若者は、主人公が連れ戻そうとしている子供---兄の子---と同じ名前だ)。つまり、40分つづく切れ目のないワンカットのなかに、現在も過去も、現実も夢も、生者も死者も、同一時空上ですべて混ざり合っている。それを可能にする(そういう状態を出現させる)ためのワンカットだ。

興奮してあまり言葉も出てこないのだが、これは、若い(むせかえるような若さ)、新しい映画であるが、同時に、かつてどこかで観たことのあるような映画でもあり、かつてからあるものが新しく生まれ直す転生の瞬間に立ち会っているかのようだ。