2022/06/15

●ちょっと前に古いソファーをもらった。表面はかなりボロボロだが、余りものの布で覆ってごまかす。

ソファーの導入は、生活に思わぬ変化をもたらした。いままで、部屋にいるときに取り得る姿勢は、立っているか、椅子に座っているか、横になっているか、基本的にはこの三つしかなく、低いところのものを取るために中腰になったりしゃがんだり、高いところのものを取るために背伸びしたりはしするが、身体的動作としてとても貧しい生活だったと改めて気づいた。

しかしソファーがあると「座る」と「横たわる」の間にあり得る様々な中間的姿勢、およびその様々なバリエーションが可能になる。この「姿勢のバリエーション」がこんなにも生活に豊かさを与えるものなのか。ソファーにふんぞり返るという姿勢の、なんと心地よくリラックスすることか、と。

ソファーにふんぞり返った姿勢で本を読む。こんな本の読み方があったのかと驚く。ソファーにいて、様々な姿勢のバリエーションの変化が可能な状態で、タブレットで動画を観る。これもいままでになかった経験だ。

これまでは必ず、部屋で映画を観るときは、27インチのPCのモニターで観ていた。この時は当然、PCの前に置かれた椅子に座っている(この日記を書いたりするときに使っているのと同じ椅子だ)。しかし最近、『攻殻機動隊SAC_2045』から、旧「SAC」シリーズをつづけて観た時は、ソファーでタブレットで観た。これは全然違う経験だった。まず何より、視聴(PCモニターの前で「映画」を観るときは「視聴」という言葉は決して使わないだろう)を一時中止することに、何のためらいもなかった。30分しか時間に余裕がないけど、とりあえず30分だけ観ておこう、ということにもためらいがなかった(「SAC_2045」は一話30分弱のシリーズだが、旧「SAC」は一本が160分程度にまとめられている)。

もちろん、PCモニターで映画を観るときにも、途中で中断することはある。でも、できる限り(できることならば)、最初から最後まで続けて観たい(観た方がいい)という気持ちがどこかにあるし、四時間の映画を二時間ずつ二回に分けて観ようとは思っても、90分の映画を30分ずつ三回に分けて観ようとは思わないだろう。そこまでいくと「映画」に対してあまりに失礼だという抵抗がある。

「ソファーにタブレット」は、その感覚を簡単に崩す。そしてそれには、PCかタブレット(あるいはスマホ)かという違いよりも、椅子かソファーかの違いの方が大きい気がする。