●お知らせ。VECTIONとして、mirrorに「条件、目標、制度、三つ揃わないと政治的チートが起きる」というテキストを投稿しました。
noteには要約版をアップしています。
●ハーマンの『Art and Objects』を電子書籍で買って、ChatGPTに少しずつ訳してもらいながら読み始める。まずは「Preliminary Note」からはじめる。うん、読める、ちゃんと読める、となって、最も気になっている第三章「Theatrical, Not Literal 」にとりかかる。いける。全然読める。大丈夫。思った以上にサクサク読める。外国語の本、余裕で直接読めるじゃん、と、気持ちがどんどん明るくなってくる。
とはいえこれはあくまで、グレアム・ハーマンのオブジェクト指向哲学についてそれなりに知っていること、また、ここで議論の中心にあるマイケル・フリードやクレメント・グリーンバーグなど、アメリカ美術におけるモダニズム的な言説についても一定の知識があることにより、議論の前提となっている背景が見えているからで、そうではない場合でも同じ感じで読めるという保証はない。ただ、そうだとしても、これはとても希望が広がるというか、気持ちが大きくなるようなことだ。
(というか逆に、たとえ英語が極めて堪能な人でも、アメリカ型フォーマリズムの議論の詳細を知らない人には、ここでなされているハーマンの論述をちゃんと追えないのではないかと思ってしまう。ハーマンはそれくらい、アメリカ型フォーマリズムの議論の細かいところにまで立ち入った上で、それを書き換えようとしている。)
それにしても、ハーマンがここまで本格的にフリード推しであるということに驚く。次の引用は「Preliminary Note」から。ChatGPTが翻訳したそのままの状態で。
《(…)2016年にロサンゼルスの南カリフォルニア建築学院(SCI-Arc)の教員になった後、Fried氏を同校の講演シリーズにノミネートすることを確かめました。その後、SCI-Arcの管理部門は私の願いをかなえ、2018年2月初旬にFried氏をキャンパスに招き、2回の講義と疲れ知らずの土曜日のマスタークラス、素晴らしい日曜日のカラバッジョに関する講演を行いました。この生身の巨匠が1週間近くも仕事をしているのを見ることはめったにない体験でした。より具体的には、Fried氏の話を聞いていくつかの戦略的な質問をすることで、私はついにこの本を完成させることができました。彼はこの本の大部分またはほとんどに同意しないかもしれませんが、彼の重要な業績が哲学において別の並行する思考の線を刺激したことを彼に認めていただけると嬉しいです。》
第三章「Theatrical, Not Literal 」では、もはやほとんど誰にも興味が持たれないと思っていたモダニズム美術をめぐる議論、たとえばフリードの「芸術と客体性」の議論の細かい部分までが丁寧に検討され、グリーンバーグとフリードの間の微妙な差異(たとえば、グリーンバーグはフランク・ステラを重要な作家とは認めないが、フリードは高く評価するなど)から導かれる帰結が語られることに驚かされる。そしてこれはたんなる「モダニズムの復習」ではなく、「ここ」からハーマン(オブジェクト指向哲学)の重要な思考が導き出されるのだ。
《しかし、Friedの有名な1967年のエッセイ「芸術と物体性」について、いくつかのステップバックをしてみましょう。このエッセイは、若いアーティストの間では熱狂的な支持者がほとんどいないにもかかわらず、今でも注目を集めています。その主要な用語「リテラリズム」と「劇場性」は、もはや美学的な論争の中心ではなくなっていますが、私は哲学の中心に置こうと試みます。》
とにかく、この議論が、翻訳を待つことなく、すぐにいま、どんどん読めてしまうということが嬉しいし、興奮する。今まで常に頭の上に乗っていた大きな岩、あるいは日本語という檻に、多少でも亀裂が生じて、開かれがあるのではないかという期待。
●という感じで気持ちが上がってきたところで、電子書籍にはコピーの量に制限があるという事実が目の前に立ちはだかるのだ。いや、考えてみれば当然そうだろう…(PC画面をスマホのカメラで撮って、テキストスキャンすればなんとかなるか…)。