⚫︎『イントロダクション』(ホン・サンス)をU-NEXTで。なんでこんななんということもないものに、こんなに動揺させられるのか。ホン・サンスの映画のあまりに生々しい「夢」のリアリティは、ちょっと他ではみたことのないようなものだ(『アバンチュールはパリで』の夢の場面も強く印象に残っている)。
割とずっと「ふーん」という感じて見ていたのだが、最後の場面でやられてしまった。最後のところでこんなに「来る」のは、それまでの場面の積み重ねがあってのことなのだが。最後の部分があることで、遡行的に、それまでのらりくらりと見てきた場面が「そうでしかあり得ない」ものとして改めて充実して立ち上がってくる。でもそれは、伏線が回収されるということとはまったく違ったの経験だ。
(それぞれの場面の時間的な距離や因果関係が、そこまで明確ではないままふわっと進行し、それが最後の夢の場面―-それが「夢」であることは後になって分かるのだが-―によって一挙にきゅっと引き締まった配置を得て、しかもそれが「夢」だと分かった時「ああ、ここでこんな夢を見ちゃうのか、いや、しかし、それは見ちゃうかもなあ」となる、その時の動揺といったら…。)
恋人とも別れ、目標であった俳優への道も諦めて、その上、母と親しいらしい酔っ払った先輩から理不尽な圧をかけられて、そのまま深く酔って眠り、そこで「別れた恋人の窮地を救う」夢を見る。まだ酔いが抜けていない状態で目覚め、重たくすっきりしない身体のままに湧き上がる、ああ、自分はなんという夢(未練たらしさ・上から目線・あまりに一方的に自己都合的な期待・自己正当化…)を見てしまったのか、自分の独善的な思いのあり方を改めて思い知らされてしまった、という、いたたまれなく収めようもなく動揺する感情の強さは、衝動的に真冬の海に入っていくぐらいのことをしない限りどうにもこうにも釣り合いが取れない。この静かに激しく振動する感情の感じの、なんとリアルなことだろうか。隣にさりげなく友人がいる感じもすごく良い。
(ちょっとでも違っていたら、「なんと陳腐な話だろう」という感じにしかならない。)