⚫︎精神分析のしぶとさ。精神分析は十分なものではなく、そこには何かが足りないように感じられるが、しかしそうだとしても、依然として、それを忘れることが決して許されないものとしてあることも確かだと思う。精神分析のことなど忘れてしまいたい、そんなものは前世紀の遺物だと言ってしまいたい。そして、精神分析が前世紀の遺物だということは、きっとある程度は正しい。だが、そうやって、いっとき精神分析のことを忘れたかのようにして生きていたとしても、あるときふと、思いがけないところで精神分析が回帰してきて、自らの存在感を示す。ああそうか、結局そこからは逃げられないのか、と思う。精神分析をきれいに上位互換できるような何かは、おそらく未だ存在しない。
特に、性的な経験について考えるとき、精神分析を抜きにして考えると必ず間違う、しかも極端に間違う、という感じがぼくにはある。