⚫︎ブルーレイで『万事快調』(ジガ・ヴェルトフ集団)。食肉工場での労働者たちによる争議の話が、たまたまそこに居合わせた中年のインテリ夫婦のアイデンティティの危機の話に繋がり、最後は資本主義を撹乱する巨大スーパーマーケットでの乱痴気騒ぎで終わる。ドリフのコントみたいなセットで行われる労働争議の場面や、ラストのスーパーマーケットでのとんでもない長回しの場面は、これまでのゴダールの集大成のようでとても素晴らしいが、しかし、これ以降、というか「政治の季節」からの撤退以降は、このような大掛かりな長回しを用いる場面を撮ることはほとんどなくなる。つまりここでゴダールは大きく変化する。
(追記。いや、長回しはちょこちょこあるが、大掛かりさを強調するような、これみよがしの長回しはなくなる。)
『万事快調』(1972年)から、『勝手に逃げろ/人生』(1980年)、そして『パッション』(1982年)は、どれも労働や資本主義への考察をモチーフとした作品だと言えるが、この十年の間にゴダールは、労働や政治、資本主義に対する態度を大きく変化させ(ジガ・ヴェルトフ集団からソニマージュへ)、それは物語内容だけでなく、技法や形式や感性の大きな変化をももたらす。これは「政治の季節」からの撤退というより、「転向」であると思うのだが、ぼくにとってはこの転向の時期のゴダールが最も刺激的で、創造的であるように思われる。この時期のゴダールは明らかに意識的に自分を変えようと様々な試みをしていて、その試行錯誤が作品に生き生きとした跳躍を与えているように思う。
(『勝手に逃げろ/人生』と『パッション』の間の1981年には『フレディ・ビュアシュへの手紙』という重要な短編も作っている。)
そして、『パッション』の次の『カルメンという名の女』(1983年)では、すっかりブルジョア的と言ってていいような映画作家になっている(と、言ってもいいのではないかと、ぼくは思う)。ゴダールは、しれっと転向しているように見えるが、それでも十年かかっているのだなと、改めて思った。
(晩年に至るまでゴダールはずっと「新しくて面白そうなもの」を常に探し続けている感じがあるが、この時期にそれが最も強く出ているように思われる。)