2023/01/02

●今年最初の買い物として、ブルーレイ・ドライブを買い直した。27インチのiMacの綺麗なモニターでDVDが観たいという気持ちを抑えきれなかった。安価なものだが、Macとの相性や評判などを、ネットで少し調べてから決めた。

テストとして、ゴダールの『JLG/自画像』と『フレディ・ビュアシュへの手紙』をDVDで観た。問題なく観ることが出来た。

『JLG/自画像』は確か、公開当時には「ゴダールの美しい遺言のような映画」と言われていたと記憶しているが、95年の映画で(日本公開は2002年)、遺言どころか、ゴダールはこの後、四半世紀以上生きて、旺盛に映画を作り続けた。

この映画、前半はとても素晴らしいのだが、終盤に向かって、まさに「遺言」みたいになって、「個である私が個として普遍へ至らなければ…」みたいな調子になっていくところに、安易にそっちに傾倒するのはちょっと、という、軽い抵抗を感じてしまう。

『フレディ・ビュアシュへの手紙』は大好きな映画なのだが、ゴダールはこの後、こういう方向(風景や街や人々を、このように撮る方向)の映画を作っていなくて、それがとても惜しいと感じる。これはゴダールの性質なのだろうが、ここで、(風景---色彩と光----を捉える)ゆったりと移動していく展開性のあるパンニングや、(街の人々を捉える)過剰に密度を高めない緩さの残った----しかし的確な----速度の操作だったものが、急激に、密度をギュッと凝縮させて、(「音」の操作も含めて)決め決めに要素を詰め込んでいく流れになる。そこがすごいというところなのだが、そんな一足飛びに完成度を高めないで、緩さのなかにある可能性をもうちょっとみてみてもよかったのではないかと思ってしまう。

(『ゴダールのマリア』のギュッと詰まった密度、『ゴダールの探偵』のマニエリスム的な豪華さなど、確かにすごいのだが。)

とはいえ、『勝手に逃げろ/人生』とか『パッション』とか『カルメンという名の女』には、多少は『フレディ・ビュアシュへの手紙』的な緩さが感じられて、80年代はじめ頃のゴダールは特に好きなのだった。