⚫︎最近、文学系というか読書系というか、本屋さん大好き系みたいなYouTuberの動画を、寝る前にお酒を飲みながらぼんやり観ることが多いのだが、マッチング系の書店をやっている人が本屋さんで爆買いする動画に『セザンヌの犬』が出てきて驚いた(動画が始まって9分50秒くらいのところ)。すっごくかわいいとか言いながら手に取るものの結局買わない(すっと書棚に戻す)わけだが。ただ、平積みじゃなくて棚にさしてある状態でも目立つデザインなのだということは確認できた。
透明書店で爆買い。仕事&キャリアのアイディア満載。就活転職中の方蔵前いいゾ
https://www.youtube.com/watch?v=vOvqxCcj4I8&t=828s
⚫︎ふと気づいて驚いたこと。
小学校へ上がるより前、せいぜい4、5歳くらいだったと思う、今憶えている最も古い記憶の一つ。おばあちゃんと二人でバスに乗って街まで出かけ、その帰りに、乗るバスを間違えて、途中で気づいたのだけど、全然馴染みのない未知のバス停で降りるしかなくて、どんどん暗くなっていく夕方、ものすごく長い距離を二人でとぼとぼ歩いた。幼いぼくにはまったく初めての場所だし、おばあちゃんもそこがどこだかよくわかっていない感じだった。幸い、地元はひたすら平坦な土地に、山がボコッとあって、川が流れているので、山と川の位置から方向はわかる。どこを歩いているのかわからなくても、ともかく、家のある方向へ進んでいることは確実だった。
とはいえ、当時は田んぼと畑ばかりで人家はまばらにしかなく、街灯などもないので、とても心細かったし、とにかく家までひたすら遠かった。ただ、このエピソードは、この試練を通じておばあちゃんとの絆が深まった的な、良い記憶でもある。
今なら、そのバス停はおそらくここだったと特定できるし、そこから家まで辿った道も、おおよそ推測できる。今の自分でも、そこから家まで歩くと3、40分くらいかかるから、4、5歳の自分とおばあちゃんなら、一時間半近くかかったのではないか。どんどん暗くなって不安だっただろうし、子供の体感時間なら、とてつもなく遠く感じただろう。
で、何に驚いたのかというと、今の自分は、その時のおばあちゃんとほぼ同じくらいの年齢だと気づいたのだ。計算すると、その時のおばあちゃんは、今の自分より2つか3つ上くらいの感じだ。マジか、おばあちゃんなのか自分、と。
「孫がいてもおかしくない年齢」という把握の仕方での自覚はあったが、それはどこか他人事的な感覚で、それとほぼ同じ意味であったとしても「子供の頃の記憶のおばあちゃんの年齢」という把握の仕方は、その理解のあり方や組成がかなり違う。それでとても驚いてしまったのだ。