2024-08-15

⚫︎『栞と嘘の季節』(米澤穂信)。用事があって行った図書館で、棚に挿してあったのをなんとなく借りてきた。シリーズ物の二作目だということを知らなかった。しかし、とても良かった。小市民シリーズの四作目よりもこちらの方が良いくらいだ。

(それにしても、アニメ版の「小市民シリーズ」がダメすぎて、こんなにつまんない話だったっけ。と思ってしまう。)

米澤穂信はほぼ初期作品しか読んでいないが、初期作品から続く、苦さとひねくれと上品さの同居が依然として維持されていて、あー、この感じ米澤穂信だわと思いつつも、初期作品では、自分自身の認識力の高さを自ら罰するかのように「苦さ」が一際強調されて終わることが多かったように思うが、この作品では、苦さが苦さのまま、しかし爽やかな感じで終わる。え、なんか爽やかなんだけど、と戸惑った。

とはいえ、ここでは「あえて語られていない」暗部があることは明らかだ。例えば、メリーさんの物語はまったく語られない。彼女が「切り札」を使わざるを得なくなってしまった顛末は少しも明らかにされない。また、ナナミの不幸も、ふわっと匂わされる程度で具体的には語られない。そしてヒロインである瀬野さんにしても、「同級生の男子」二人にはあえて語ってはいない「辛いこと」が中学時代にあったとしてもおかしくない。それにかんして、探偵である「男子」二人も、作者も、なんとなく察しているだけで、本人が語りたがらない限り、「(急を要する)事件の解明」に必要なこと以上は踏み込まない。

(謎への踏み込みにかんして、こんなに遠慮がちで躊躇する探偵たちはなかなかいないだろう。)

それを、上品な態度ととるのか、ドロドロした暗部に触れることを避ける不誠実な態度ととるかは、評価が分かれるかもしれない。しかし少なくとも、表面化されている以上の何かがあることはちゃんと仄めかされているのであって、表面を綺麗事で取り繕うことはしていない。

他人の事情に必要以上に踏み込まない「躊躇」と、他人に知られたくないことは語らない「嘘」との絡み合いが、この小説の味わいを形作っている。ここにあるのは、人の言っていることが本当なのか嘘なのかわからないということだけでなく、おそらく「嘘」なのだろうが、この「嘘(の解明)」に踏み込むべきなのかどうかという躊躇(判断の迷い)だ。ここに、この作品が、たんなる騙し合いの嘘つきゲームとの根本的な違いがある。人を騙すための嘘ではなく、言いたくないことを言わないための嘘であるのならば、その嘘を「暴く」という行為は、どのような根拠がある場合ならば(どのような場合に限ってならば)許されるのか。

この作品はミステリとして書かれており、謎の解明や、伏線の回収、どんでん返しなどといったことにまったく意味がないということはない。謎に引っ張られるようにして読み進める。しかしその謎そのものは、解明されてしまえばそれほど驚くべきことというわけではない。そこに期待して読むと物足りないと思ってしまうかもしれない。この作品の読みどころはそこにあるのではないと思う。

一方で、看過できない出来事があり、しかしもう一方で、知ってはいても言ってはいけないことがあり、知ってはいても言いたくないことがある。その時、看過できない出来事の解明のためだからといって、言ってはいけないこと、言いたくないことを、どこまでなら言っても、言わせても、あるいは暴いても、許されるのか(その権利が自分にはあるのか、と)。互いに嘘をつき合い、互いに嘘を暴きあう登場人物たちには、常にこのような倫理的な逡巡があり、遠慮と決断と後悔がある。だから、騙し合いと暴き合いの競争があるのではない。むしろ、出来るなら騙したくないし、嘘とわかっても暴きたくない。他人の事情に必要以上に踏み込むべきではない。しかし、今、ここに、無視したり、放置したりすることが倫理的に許されないような出来事がある。最悪の事態を避けるためには踏み込まざるを得ない。そういう状況で、遠慮がちに、本当はしたくないがせざるを得ないという形でなされる(出来る限り最小限で済ませたい)嘘と暴きがある。そのぎりぎりのせめぎ合い、というか、「他者への配慮」のし合い。この感触こそが読まれるべきものではないかと思う。

⚫︎この話は、最終的には、とてととても小さな範囲で収まる。やり方によっては、もっと大きな規模に(もっと恐ろしい話に)発展させられるような主題だが、それを、おそらくあえて小さな範囲で収束させる。登場人物である高校生たちが、自分たちの能力や行動範囲を、一回りはみ出すくらいのことで解決出来る程度の(完璧には解決されていないことは明らかだが、それでも最悪の事態は逃れられる)、小さな範囲で収める。初期作品とは異なる(苦いながらも)爽やかな感じは、物語を「小さく収める」この感じから、作者の登場人物たちへの「親のような眼差し」が感じられるからではないか。登場人物たちは決して万能ではないが、まったく無力というわけでもない、と。初期作品は、無力さを方を強調する傾向にあった。