02/02/05

●批評空間HPのWeb CRITIQUE(http://www.criticalspace.org/special/index.html)に、『現在にまみれて身動きが出来ない(アモス・ギタイ『キプールの記憶』)』がアップされました。
●2/3の日記に書いた「B足らん」について、あれは谷崎の『細雪』からきているんじゃないか、という指摘を複数頂いた。これは「偽日記」始まって以来の大きな反響だったりする。お前は『細雪』もよく知らないくせに金井美恵子についてエラそうに語るのか、と言った強い調子の非難はなく(そういう風に非難されて当然なのだが)、どの方も丁寧に指摘して下さって、とても感謝しています。これに懲りずに浅はかな文章を今後も書き連ねてゆきたいと思いますので、お気付きの点がありましたら、キツいツッコミをどうぞよろしくお願いします。で、『細雪』では「B足らん」というのは、家族がビタミンB注射をするのが癖になっていて、少し調子が悪いと何でも「B足らん」のせいにする、という風なニュアンスで使われているらしくて(「らしくて」じゃなくてちゃんと読むべきなのだが)、それをふまえて『噂の娘』の「B足らん」の部分を読むと、美容院のマダムは文学好きで『細雪』にかけて、たんに「疲れた」と言うところを軽くふざけた調子で「B足らん」という古い言葉を口に出し、それをおばあちゃんがまともに受けて、(『細雪』の舞台である)戦前の感覚で「ビタミン注射はニンニク臭い」みたいな話に繋がる、という事になって、ただたんに「B足らん」を50年代の流行語のようなものとして捉えた時には感じられなかった、おばあちゃんとマダムの関係というか、ひとつの家のなかで世代の違う女たちが住んでいておしゃべりを交わしているのだが、そこには感覚のズレがあって微妙に噛み合わず、しかしそのズレによって会話がまた別の方向へと繋がって動いていって増殖し、沸き上がっては消えてゆく、という感じが出ていて、こっちの方がずっと小説の世界に厚みと広がりが出て、豊かに思えるのだった。このような、複数の人物の微妙に噛み合わない関係によって産み出される「ざわつき」や「ざわめき」は、『文章教室』以来の金井氏の小説の最大の魅力のひとつであるように思う。