01/03/05

東京国立近代美術館で『未完の世紀・20世紀美術がのこすもの』。これだけの量の作品を一遍に観るのは容易ではなく、どうしても一点一点の見方が荒くなってしまいがちだし、ぼくは「日本の近代美術」について充分な知識があるとは言えないので、個々の作品を明確なパースペクティブのもとに観ることはできない。そういう条件を差し引いて考えたとしても、この展覧会から受ける印象は、「日本の近代美術」のどうしようもない「貧しさ」ということになる。この展覧会では、たんに日本美術の流れということだけでなく、歴史との関係や西洋美術との同時代性を意識させる構成になっていて、日本の画家たちが観照したであろうヨーロッパの作家の作品も同時にならべられているので、そこにどうしてもある「本物」と「偽物」とでの言うべき落差が見えてきてしまう。例えばイブ・タンギーというシュールレアリズムの画家がいて、ぼくはあまり好きではないしそれほど高く評価もしないのだけど、一緒に並べられている日本のシュールレアリストたちの作品にくらべると、それはもう大人と子供ほどの歴然とした違いがあり、日本の画家たちの幼稚さは誤摩化しようもなく見えてしまう。シュールレアリズムというのは絵画としての質というよりも、描かれているイメージそのものの方に重きがおかれていて、実は画家としての力量というものがそれほど問題にはならないのだけど、それでもこれだけ違うのだから他は推して知るべしというところだ。もちろんこれは、日本の近代というものが外から強いられたものとしていきなり始まり、文化的な蓄積などが全くないところでやっていかなければならなかったのだから当然のことであって、それ自体がどうこうと言うことではないだろう。(日本画というものも近代になってから生まれたものだということを忘れてはならないのだが、それでも日本画は「過去の遺産」との繋がりが深く、それを豊かに使用することが出来るのだから、20世紀前半においては日本画の方が技術的にも洗練され、形式的な意識も高い作品が多いのは当然だろう。例えばほぼ同時代の菱田春草青木繁とを比べればその差は明らかだ。それと同時に50年代に入って日本画が急速に駄目になる様も、この展覧会でははっきりみえてくる。ただ、確かに岡崎乾二郎が書いている通りに菱田春草の『落葉』は傑作と言えるのだが、でもそれは多分に抽象表現主義を通過した目にとってこのような空間はすんなりと見えやすい、という部分があって、つまりたまたま「西洋美術の流れ」とシンクロしてしまったがゆえに、必要以上に「良く」見えてしまうということでもあると思うのだ。)
日本の近代美術が「貧しい」というのは当然観る前から充分に予想できたことであり、だからこそぼくは日本の近代絵画について今まであまり注目もしなかったし勉強もしていないのだけど、しかしその強いられた「貧しさ」のなかで相当苦労して健闘している画家たちの姿が見えてきたということも事実だ。例えば岸田劉生という人はかなり凄い画家だなあ、と改めて思った。それは美術史上に新しい何かをもたらしたという凄さではなく、徹底して単独的であるような凄さなのだが。よく愚直なリアリズムとか言うけど、ただ物を凝視して描いてゆけば、そこに「即物的」なリアリティが出現するのかと言えばそんな訳はなくて、即物性の露呈という出来事は、同時代において支配的なものとしてある「形式」への不断の抵抗や闘いを通してしか現れはしないというのは当然のことではないか。『壷の上に林檎が載って在る』という一見とんでもない設定の絵が、岸田の形式に対する強い批評意識を現しているのではないだろうか。佐伯祐三という画家が、たんに「パリの哀愁」などを描いたというだけでなく、油絵具の、そして基底材であるカンバスの「物質性」という問題に正確に突き当っていた画家であることも、きちんと見られなければいけないと思う。佐伯は通常、美術史的にはエコール・ド・パリのユトリロなんかの亜流くらいの位置しかないと思うのだが、画家としての才能や力量から言えばユトリロとかスーティンとかフジタとかよりもずっと上だし、彼らが適当に誤摩化していた近代絵画の最もシビアな問題にもきちんと突き当っている。しかしそれと同時に、個人的な力量だけではどうしても乗り切れない「壁」があるのだ、ということを示してもいるように見える。洋画界の大家である安井曾太郎の絵も、素直に良いと思えるものだった。意外にイイじゃん、という感じ。隣に展示してあった梅原龍三郎の絵が、印象派以降の絵画を全く理解していない(勘違いしている)としか思えないものなのに対して、どうしてもどこかあか抜けない感じはあるものの、安井の絵は20~30年代のマティスの作品をかなり正確に理解した上で自分のものにしている感じがある。地味だけど、少ない手数での正確な描写力と趣味の良い色彩の使用があって、「普通に良い絵」だと思う。あと、国吉康雄の『逆さのテーブルとマスク』とか香月泰男の『水鏡』とか、ぼくの趣味として、絵画マニアとしてたまらない絵なのだった。
●現代の作家については何も触れなかったけど、どうしても一つ言っておきたいのは、ぼくが現代画家のなかで最も尊敬する小林正人の、おそらく最高の作品だと思われる『絵画=空』が、『未完の世紀・20世紀美術がのこすもの』では展示されているので、これを観るためだけにでも、東京国立近代美術館に脚を運ぶ価値はある。美術館の壁にいきなり裸の「空」が出現する。その奇跡的な光のたゆたいを是非体験されたい。10日までなので、急げ。