02/03/06

●銀座テアトルシネマでフィリップ・ガレルの『夜風の匂い』。シネマスコープ・サイズの画面にカトリーヌ・ドヌーブがあらわれる。階段を上り、鍵を取り出して部屋に入り、コートを脱ぎ、ベッドのまわりに香水をまき、手帖に言葉を書き付ける。これら一連のショットが示しているのは、ただ、カトリーヌ・ドヌーブがいる、ということだけだ。真っ赤なポルシェが一台駐車場にあるというのと同じように、そこにカトリーヌ・ドヌーブがいるのだ。『夜風の匂い』が示しているのは(と言うか90年代以降のガレルの映画が示しているのは)、1人1人の人間がポツンポツンと離れて存在しているということだけなのではないだろうか、とさえ思える。登場人物たちは、周囲から切り離され、ただ自らの生の内部でだけ生きているようにみえるのだ。彼らはしばしば「愛」について語るのだが、彼らが語る「愛」とは一体どのようなものなのかぼくにはよく理解できない。誰かと寄り添い、身体を重ね、感情をぶつけ合ったとしても、彼ら1人1人の生はその傍らにいる誰かとはほとんど無関係に、もともと閉じた内部だけで進行しているのだし、だいいち彼らには自分の生にしか興味がないように思える。例えばカトリーヌ・ドヌーブは若い恋人であるグザヴィエ・ボヴォワに対する愛を口にするのだが、彼女は実は男のことなどまるで見てはいなくて、彼女が見ているのは重たく年老いてゆく自分の姿ばかりで、つまり男が見ている自分を見ているだけなのだ。彼女が突然に手首を切るのも、夫や若い恋人との関係によるのではなくて、彼女の内部で独自に進行する彼女自身の生の持続の必然的な帰結でしかない。誰が見てもガレル本人を髣髴とさせる建築家のダニエル・ディヴァルにしても、グザヴィエ・ボヴォワと共に短くはない自動車の旅行をしているにも関わらず、例えばヴェンダースの映画にみられるような孤独な魂同士が共振するような瞬間(例えそれが宙吊りになった時間のなかでしか起こり得ない幻想であるとしても)が訪れることはなく、彼はかたくなに自分自身の殻に閉じこもりつづるだけなのだ。彼の関心は、自殺した妻や、妻と過ごした過去にしかなく、彼の硬直した皮膚に覆われたごつい顔は、どのようにしてもそこからの出口がないことを語っているようだ。個人が徹底して「個」として存在し、周囲から断絶した固有の持続の内部でのみ存在していること。その苛烈さ。そのことを明解に「映画的」に示しているのが、あの「真っ赤なポルシェ」なのだろう。それはメタファーとかそういうことではなく、あのポルシェの視覚的なイメージのあり方そのものが、そのままドヌーブやデュヴァルという存在のあり方と同等であるのだ。
この映画のカトリーヌ・ドヌーブは素晴らしいし、そして何より撮影のカロリーヌ・シャンプティエが素晴らしい。しかし、この映画においてガレルとドヌーブとシャンプティエは、一体「共同作業」をしていると言えるのだろうか。ぼくは映画の撮影現場については何も具体的なことは言えないのだが、この映画ではそれぞれの人物が「共同」して一本の作品を作り上げるというような仕事をしているのではなく、1人1人がバラバラに、ただ「自分の仕事」をしているのだ、という感じがするのだ。ポルシェに乗ってナポリからパリへ、パリからベルリンへと、短くはない旅を共にしたとしても、ポルシェはポルシェであり、デュヴァルはデュヴァルであり、ボヴォアはボヴォアでしかなく、そこには何の関係も交わりも生じないのと同じように、ドヌーブはドヌーブであり、シャンプティエはシャンプティエであり、ガレルはガレルなのだ。自分と同世代のことや、自分自身の人生の出来事についてばかりをくり返しフィルムに納めつづけるガレルの映画が、それでも「芸術家の内面」を描いたような映画と決定的に違っているのは、このような「それぞれがバラバラに自分の仕事をするしかない」という映画の性格を突き詰めてゆくような制作の仕方をしているからなのではないか、と、ふと思った。(例えば、ガレルの分身を演じていたとしてもデュヴァルはガレルではなくて、あくまでデュヴァルなのだ、というようなこと。)《出来事はまったくばらばらに起こり、それぞれがそれぞれ固有の筋道をもち、まったく別個に展開する。もし、そのおのおのが、そのおのおのの道筋の外の何かから影響を受けることがあったとしても、その影響が、そのおのおのの枠を壊すことは決してないだろう。》個人が徹底して「個」であること。このような深い断絶や孤独に対して、ほとんど戦慄するような絶望を感じるとともに、そのような「個」として存在するしかない必然性があり、また、そのような「個」としてあるべきだという倫理性があるのだ、と感じもする。それこそが68年の帰結であり、左翼でいることの倫理なのだ、とでも言っているかのようだ。(しかし、だとしたら、最後の「自殺」は何なのだと言うのか。)この映画は傑作だと思う。しかし、生きることは何と苛酷で厳しいことなのだろうか。