●低い位置から斜めに射してくる冬の朝の光が、ちょうど進行方向の正面から射して直接目に入るので、自転車のペダルを漕ぎながらも、前タイヤのすぐ先の地面に近いところくらいしか見ることが出来ず、目を細め手を額にかざして光を避けてもっと先の方に視線を向けようとしても、ほんの数メートル先の地面あたりがいいところで、下手をするとすぐ先の信号さえ見逃してしまいかねない。朝日を直接反射するアスファルトはまぶしく白く輝いている。前の方ばかりを気にしていると、狭い道で後ろから強引に追い抜こうとする自動車がギリギリまで車体をこちらに寄せて通り過ぎてゆくので、ヒヤッとする。街路樹の葉はおおかた落ち切っていて、落ち葉は道の端の方にかたまって盛り上げられていて、人や車の通る中央は雪かきしたみいにアスファルトがきれいに露出している。正視出来ないほど眩しく白く朝の太陽を乱反射している空一面に散らばる薄い雲の隙間から、低空飛行の巨大な米軍機がいきなりぬうっとあらわれ、轟音をやや遅れて響かせながら基地のある方向へとゆっくり飛び去った。
●緑地のなかの遊歩道は、地面が隠れてしまうほどの落ち葉で覆われ、こんもりとしている。何日か前の雨のせいなのか、落ち葉にはかなりの率で緑の葉も混じっている。湿った落ち葉は、いままさに分解されはじめようとしているのか、ツンとした青臭さとも、腐りかけの腐臭とも違う、あるいはそれらが入り交じった、何とも言えない濃厚な匂いを大気中に放出し充満させている。上ったり下ったりしながらくねくねと曲がるその道を歩いて行くと、落ち葉のつもり方は決して均一ではないことが分かる。足を取られそうな程みっしり、こんもりと積もっている場所もあれば、くろぐろと湿った地面が露出している場所もある。様々な色(赤、赤茶色、焦げ茶色、赤錆び色、黄色、黄土色、黄金色、黄緑色、うぐいす色、緑、緑がかったグレー、暖色系のクリーム色、濃い青紫....)、様々な形態(丸かったり、細長かったり、ギザギザだったり、下膨れだったり、くしゃくしゃだったり、シュッとしていたり....)、様々な大きさ、あるいは、乾燥してバサバサだったり、まだ瑞々しさが残っていたり、裏だったり、表だったり、の落ち葉たちが、その場所によって様々な混ざり方、様々な積もり方、様々な濃度で、折り重なり、散らばっている道を、滑らないように足元に気をつけながら、したがって必然的に下ばかりを見ながら移動して(上ったり、下ったり、曲がったり)いる時に身体全体で感じる感覚は、岡崎乾二郎のペインティング(特に最新のもの)を見ている時に感じられる感覚(身体が強いられる感覚)ととても近いものがあるように思った。