●代々木のギャラリー千空間で、「あおによし2」というグループ展(高崎賀朗、中村友香、平体文枝、堀由樹子、丸橋正幸、わだときわ)を観た。(観たのは昨日。)
●堀由樹子の作品は、今までのものとかなり印象がかわっていた。画面のなかを大きく、のびやかに動くようなタッチがなくなり、一つ一つのタッチが均質になり、均質なタッチが画面を覆うことで、絵の具が画面のどの場所にも均等につくことになり、その結果、(描かれたイメージや空間性よりも)絵の具の質感が強く前に出てくるような作品になっている。絵の具の質感は、水分とか湿り気とかを感じさせないようなパサパサした感触で統一されている。色彩も、長い年月の陽の光によって退色したような感じの調子に押さえられている。そのような色彩と、絵の具の質感とによって、描かれたイメージが、今、目の前にある空間のなかで、私がそれを見ている時間と同じ時間の流れで存在しているのではなく(つまり現実と地続きの時空のなかにあるのではなく)、時間が止まってしまったどこか別の場所にあるもの、メデューサによって空間も時間も石化させられてしまった場所に存在するもののイメージ、とでも言うような感じになっている。作品としてはかなりあやういところで成り立っているもので、描かれたものの形態からも、絵の具の質感からも、堀氏独自のやわらかさの感じが(おそらく意図的に)失われていて、つまりそれは、画家としての堀氏の「売り」の部分がないということでもあり、ボソボソとした絵の具の質感や、退色したような色彩、均質化されたタッチなどから、単調で硬直したような作品にも見えてしまいそうなギリギリのところで、ほとんど均質化された画面からせり上がってくる絵の具の質の不思議な感触によって、その欠点ともみえるもの(単調さと硬直した感じ)が表現としての「質」へと転化してゆく。このキワキワの感じの「質」を楽しめるかどうかで、これらの作品への評価は大きく左右されるだろう。だからこれらは、簡単に良いとも悪いとも言えないような際どい作品だと思う。しかしこの際どさは、実は今までの堀氏の作品と全く無関係というようなものではなく、その裏側からちらちらと見え隠れしていた「際どさ」が前面に出て来たという感じなのだった。
●堀氏の作品の際どさとは対極にあるような、たっぷりとした広がりとゆるやかな吸引力をもった色彩の、平体文枝の小さなタプローはとても魅力的で、この作家の最近の作品をもっと観たいと思った。
あと、わだときわのリトグラフは普通に「良い作品」で面白いのだけど、今回展示されている3点はちょっときれいにまとまり過ぎてる感じもある。この作家の面白さは「普通に良い作品」には納まらないところにこそあるのではないかと思う。わだ氏の作品は「そのまま」で充分に面白いのだが、もっと面白くなっても良いはずだ、と思わせるものがあり、その面白さの可能性を十分に展開させてやるためには、あと一歩の踏み込みの必要があるのではないか、と感じる。制作における様々な手仕事の集積、それによって生まれるものを、作品として組織化してゆくときに、それがなにによって「作品」となるのか。わだ氏の作品の面白さは、主にその手仕事の領域から生み出されていると思うのだが、それが作品となる時、それぞれの手仕事から生み出されたものたちの絡み合いが、いま一歩緊密になれば、作品はずっと強くなり、面白くなるように思う。(わだときわの作品については、eyck氏が詳細にレビューしています。http://d.hatena.ne.jp/eyck/20050614)
●「あおによし2」は、ギャラリー千空間(渋谷区代々木1-28-1・TEL03-5350-8330)で、21日(火)まで。