●(いかにも時期外れの話だけど)iPod miniを買ってから随分たつのだが、ぼくのパソコンの古いOSやiTunesがそれに対応してなくて、ずっとたんなる「ブロック崩しゲーム」でしかなかった。なぜ、さっさと新しいバージョンにアップデートしなかったかと言うと、うちはまだダイヤルアップ回線で(!)、100ギガ以上のOSをネットからインストールしようとするとえらく時間がかかってしまい、その間、電話もネットもメールも不通になってしまうし、何よりも面倒臭かったからなのだが、ついに重い腰をあげてやってみた。だいたい5、6時間もあれば大丈夫だろうと予想して、夜眠る前にはじめて、起きたころには完了していると思ったのだが、それは見込みが甘くて、結局10時間近くかかってしまったのだった。
●で、今ぼくのiPodには、だいたい550曲(3,7GB)くらい入っているのだが(ほとんどが、もともとiTunesにはいっていたものだけど)、まったく陳腐で、いまさらながらの感想ではあるけど、それがこんなに小さいもののなかに入っていて(CDウォークマンみたいにディスクをケースに入れて持ち歩いたり、電車のなかなどでディスクを取り替えたりしなくてもよくて)、手軽に持ち運び出来て、簡単な操作ですぐに取り出せて、再生出来るというのは凄いことだ。しかし思うのは、iPodというのはあくまでパーソナルな、自分だけが使うようなもので、これを人に見せるのはとても恥ずかしい。550曲のリストを眺めていて思うのだが、だいたいぼくはiPodを買っても使えなければ平気で「ブロック崩しゲーム」専用機のままで放ったらかしてしまうくらいに音楽とは淡白な関係しか持っていないのだが、リストの並びを見るとそれが如実に現れていて、全く音楽の「趣味が無い(「趣味が悪い」のですらない)というのがミエミエで、情報量が増えれば増えるほど、その情報を選択しているその人の「地」が、誤摩化しようもなくくっきりとあらわれてしまうものだという当たり前のことを、改めて思った。
●例えば、あまり整理されていないCDの棚などからは、こういうことはそれほど明確には見えてこないもので、だとすると、ぼくの持っている、あるいは今までに読んできた本や、観た映画や絵画など(それは、本棚や記憶のなかに、雑然としたまま納められているのだけど)も、iPodのディスプレイのようなものに整然と(見渡せるように)並べられたとしたら、自分自身の「浅さ」が、明確に視覚化され意識化されてしまうということなのかもしれない。