●稲生平太郎『アムネジア』。こういう「お話」は、どうしても気になってしまう。それは、子供の頃に天澤退二郎の童話を好んでいたり、最近のものはちょっと安易なのではないかと疑問を持ちつつも松浦寿輝の小説が気になってしまうというのとも繋がる、ぼくの根深い「好み」の問題であろう。「物語」に対する欲求(あるいは物語の吸引力)というのは、目新しいこと、新鮮なことを聞きたい、知りたいと望むというのではなく、自分が既に良く知っていることを、他人の口を通して改めて聞き直したい、ということなのではないかと思う。
●この物語では、一見、記憶という基盤が(降りしきる「雨」とともに)崩落してゆき、それと共に「私」の根拠が崩壊してしまう様が描かれているようでいて、実は、記憶によって支えられているのは、社会的な、他者との共通了解によって成り立っている世界であって、主人公はそこから撤退して、「私」にとっての「懐かしいもの」の場所へと退行してゆくに過ぎない。主人公は、あらゆる根拠が失われた無限地獄(「かみのけ座」的世界)に落ちて行くのでもなく、果てしの無い輪廻(永劫回帰)の世界へと入り込むのでもなく、日常を支えている「記憶」から、幼い頃に読んだ懐かしい「お話の記憶」へと回帰してゆくのだ。幼い頃とは、まだ「私」が確立し、「私」の「歴史」が始まる以前の場所であるから、「私」にとっては無時間的な領域に属していて、そこへの回帰は「私」と客観的時空との繋がりを断ち切り、あたかもその「(お話の)記憶」が歴史のあらゆる場面で反復しているかのようなオカルト的妄想を生じさせる。その(無時間的)記憶は、普段は決して意識されないが、私と客観的な世界との関係の裏側にいつも貼り付いており、私が世界に対して下す様々な判断に、意識されないまま様々に影を落としているだろう。主人公はふとしたきっかけから、今までの自分の生活からはかけ離れた未知の世界に触れ、そこに過剰に入り込むことになり、そのことによる日常的(基底的)な判断の揺らぎを経験し、疲労し、暴力への恐怖を感じ、そして具体的な暴力を目の当たりにし、自身も晒されること、等によって、他者との共通了解としての世界を支える記憶が変調し、ひび割れ、その下から、「懐かしいもの(の記憶)」が強い力をもって浮上してくる。このような感覚の変調は、軽いものならば誰でもが経験することで、そのありふれてさえいる感覚こそが、この物語の説得力となっているように思う。
●この小説の優れたところは、主人公がかいま見る「未知の世界」を、いきなり「永久機関」に魅せられる人々みたいな、突飛な神秘主義(オカルト)的要素にするのではなく、まず、(大阪を舞台として)アングラ・マネーのまわりに巣食う怪しげな人々の世界という、現世的なありそうな入り口から入って、その世界の怪しげな雰囲気や、そこに惹かれる人々の陶酔したような狂気の感触を描きだしておいて、それを上手く、神秘主義的な要素と結びつけている点にあると思う。例えば、神秘的なものにつきまとうダークな力のうごめきの恐ろしさを、暴力団などが介在する時の暴力の恐怖と重ねることで「こっちの世界」としての説得力をももたせ、主人公が「こっちの世界」から「あっちの世界」へと徐々に移行してゆく過程(「こっちの世界」が徐々に崩壊して行く過程)をしっかりと捉えることを可能にする。小説の技法としては、一人称の語り手が徐々に危うくなっているサイン(信用出来ない語り手になりつつあるという予感)を小出しにしつつ(世界への安定した信頼が揺らぐと、世界は徴候に満ちたものとなり、細かい細部と細部の関係が過剰に意味をもったものにみえはじめ、ありもしない関係を妄想しはじめ、世界は必要以上の「意味」をもち、陰謀や策謀に、つまり「謎」に満ちたものにみえはじめる)、疲労と暴力の後に、その決定的な破綻が他者の発言によって読者に告げられる(理恵と宇田川の会話)、というもので、割合ありふれている。とはいえ、この部分まではとてもしっかり書かれていて、面白い。だが、この後の展開は、風呂敷を大きくひろげた割には、細部が充実してなくて、図式的に流れたという印象を受ける。(この小説に散りばめられた様々な「謎」のアイテムは、結局「どうとでも取れる」ということだけが重要なので、それをただ時間的、空間的に大きくひろげたからといって、それで面白くなるとはあまり思えない。)
●この小説で印象に残っているのは、例えば、主人公が倉田という男に会った時に隣にいた謎の女が、立ち上がってトイレに行く時に「靴をはいてなかった」とか、主人公の記憶にある童話の場面で、老人と少女といっしょに、「人間くらいの大きさの蛙のような生き物」がいた、とかいう細部で、こういう細かい「亀裂」を仕掛けるのがとても上手いと思った。(仕掛けられた「謎」よりもイメージの亀裂の方が面白い。)しかしそれにしては、主人公の恋人の理恵という女性の印象がやや薄く、もうちょっと「あやしい」感じが出ていてもよかったのではないかとも思った。(主人公が勤める会社の社長である、宇田川という人物がとても魅力的だと思う。)
●この本には、同じ作者の『アクアリウムの夜』という小説のチラシがはいっているのだけど、別に増刷されたわけではないみたいで、本屋に行ってもみつからない。