●♪暖かく、風が流れ出す、と、「曲をシャッフル」にしてあるiPodからオリジナル・ラブの「朝日のあたる道」が流れてきて、身体の緊張がほぐれてくるようなぽかぽかと暖かい陽気のなか、電車に乗って、うつらうつら眠ったり覚めたりしながら(自動的に選択されて)流れている音楽を受動的に聴くともなく聴いている「今」の状態と、自分の意志とは関係なく選択されたこの曲の気分とがあまりにマッチしてしまっていることに(意志による選択ではないことによる唐突さ、新鮮さの感触とともに)不思議な心地よさを感じるのだが、この曲の気分はまた、「ふと思う、過ぎた年月を、しばらくぶりに君と、ながく話し込み、夜が開けてく」という詞が示す通り、(この曲の詞が示している状況としては、語り明かした夜の後の、明け方に海から吹く風によって生起した)現在の心地よい感覚が、過去へと伸びてゆく記憶との繋がりのなかで生まれたものである(「♪あの頃の思い、瞳の輝き,今もそのまま,同じ」というような)ことを示してもいて、そのように構築されたこの曲の気分が、現在のぼくが、十年以上前によく聴いた曲であるこの「朝日のあたる道」にふいに触れた時に感じた(今の)気分とも重なっており(というか、この曲が流れてきたことで、現在感じている気候による心地よさが記憶のなかへと流れ込み)、この曲が、確か宮沢りえの出ていたシャンプーのコマーシャルに使われテレビから頻繁に聞こえて来ていたこと、その頃、そのサビの部分が流れる度に感じられていた感情などが、今、ここで感じている感覚と混じり合い、最近のぼくにとっては、もはや聴き飽きた、あまり改めて聴こうとは思わない過去のものと感じられていてこの曲が、「曲をシャッフル」という機能による唐突な出会いによって、改めて新鮮なものとして身近に迫って来たのだった。それにしても、この「曲をシャッフル」という機能のもつ、既知(それが結局、ぼくの貧しい音楽の経験、貧しい音楽の趣味のなかから選ばれた、たかだか九百曲くらいのアーカイブからチョイスされたものでしかないこと、自分の趣味や経験の内部にあるものでしかないこと)と、未知(しかしそれが、いつ、どのようなタイミング、どのような順番で現れてくるのかは分からないこと)との絶妙な配分は、別に何が出来るわけでもない中途半端な時間、例えば電車での移動中などの時間にぼんやりと聴くには、とても面白いと思われる。