フランソワ・トリュフォー『家庭』、テレンス・マリック『天国の日々

フランソワ・トリュフォー『家庭』、テレンス・マリック天国の日々』をDVDで観た。
●ぼくはトリュフォーに入れあげたことは一度もないのだが、たまに凄く観たくなることがあって、実際に観るととても面白い。でも何故か、観終わると、それ以上観たいとはあまり思わない。トリュフォーの映画は、そこを素通りする、というようなあっさりした関係を作品との間にもつように出来ているのかもしれない。
●実は、『天国の日々』ははじめて観た。これだけじっくりと時間もお金もかけて撮影して、なんとも贅沢きわまりない画面(アルメンドロスの素晴らしい撮影は、カットが変わるたびに思わず「はぁーっ」とか「へえーっ」と声が出てしまう)をつくっておきながら、大作にはしないであっさり90分ちょっとで終わらせてしまう不思議な映画だった。撮影も演出も編集も「大作風」でありながら、物語としてはたった四人の主要人物しか出てこないシンプルな話で、あくまで(大きな空間を舞台にした)「小さな映画」として組み立てられていて、このギャップが面白い。ざわざわっと盛り上がった音が、いつの間にかすーっと引いて静かになってゆく、ということの繰り返しがつくるリズムも面白い。(この映画は物語の展開するリズムで進行するのではなく、明滅するものの反復によって基本的なリズムが刻まれるように思う。)この映画を観ると、テレンス・マリックはかなりのシネフィルのように思えるのだが、「撮り方」は全然シネフィルっぽくないのも不思議な感じだ。この映画でやりたかったことはおそらく、自然のなかで人間が労働したり、だらだらしたりして存在している感じを捉えることで、基本的に「ドラマ(や展開)」には興味のない人なのではないかと感じた。だから、農場主が嫉妬と不信感を募らせてゆくような描写が弱くて、圧倒的な(トーンの変化によって進行する)前半から中盤に比べると、(物語的な展開がみられる)終盤がちょっとダレるように思った。